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名古屋地方裁判所 昭和35年(ワ)1304号 判決 1963年5月20日

原告 杉原東洋児 外二名

被告 日本電信電話公社

訴訟代理人 家弓吉己

主文

原告等の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「被告公社東海電気通信局長が原告等に対し昭和三三年一二月一日付でなした原告等を免職する旨の意思表示は無効であることを確認する。被告公社は原告杉原東洋児に対し金四一二、八五八円及びこれに対する本訴状送達の翌日以降完済迄年五分の割合による金員並びに昭和三五年八月一日以降本判決確定に至る迄一ケ月金一五、八四〇円の割合による金員、原告伊藤忠治に対し金三六九、七九四円及びこれに対する本訴状送達の翌日以降完済迄年五分の割合による金員並びに昭和三五年八月一日以降本判決確定に至る迄一ケ月金一三、九一五円の割合による金員、原告若林泰弘に対し金四〇二、一一四円及び本訴状送達の翌日以降完済迄年五分の割合による金員並びに昭和三五年八月一日以降本判決確定に至る迄一ケ月金一五、四〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告公社の負担とする」との判決並びに金員支払の部分につき仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

原告等はいずれも被告公社の社員であつて津電報局通信課に勤務していたものであるが、被告公社東海電気通信局長吉村克彦は昭和三三年一二月一日付けをもつて、原告等が津電報局通信課員として昭和三三年一一月一四日から同月二九日までの間において業務命令に従わず、自己の職務を怠り、局内秩序を乱し、且つ業務を妨害したとの理由により原告等を懲戒処分として免職する旨の意思表示をした。

しかしながら右解雇の意思表示は懲戒解雇すべき事由がないのになされたものであるから解雇権の濫用として無効である。

仮りに然らずとするも、原告等の正当な労働組合活動を理由としてなされたものであつて労働組合法第七条第一項に該当する不当労働行為であるから無効とすべきものである。その詳細は次のとおりである。

被告公社は昭和二七年名古屋中央電報局を中心とする岐阜及び津電報局の電報中継機械化計画を発表し、次いで昭和二九年第二次計画として従来中心局であつた右二電報局を加入局にするという極度の事業合理化を実施しようとした。そこで日本電気通信労働組合(以下組合と略称する)は右計画に基く組合員の強制配置転換、労働強化等の強行によつて労働条件が低下するのを防止し、更に計画実施を通じてこれが向上を図るべく、(1)昭和三二年一一月三〇日被告公社との間に、職員の配置転換に関する協約、年次有給休暇に関する協約、勤務時間及び週休日に関する協約、特別休暇に関する協約を締結し、(2)「合理化の進展に伴う労働条件等に関する基本的了解事項」なる協定を結び(イ)企業合理化の進展に伴い労働条件を向上させる、(ロ)労働条件特に要員に関する設備計画等については計画を変更できる段階で組合に提示し協議する、(ハ)企業合理化の進展に伴つて事業所での職場環境厚生福利についての不均衡を解消するよう努力する等の諸事項を確認し、(3)「計画の協議に関する覚書(事前協議約款)」なる協定を結び、電信電話拡充並びに整備計画の進行過程において新技術の導入等による事業の合理化を伴い、その実施に当つては職員等の雇傭その他の労働条件について直接間接に影響を与えるので、その実施の段階において生ずる摩擦を未然に防止するため事前に組合に提示して協議するものとする、(ロ)計画案が作成された後できるだけ速かに組合に対して説明をなし、組合は右の説明があつた後二〇日以内に文書をもつてこれに対する意見を提示し、公社は組合側から意見が提出されてから五日以内に組合の意見を十分斟酌の上計画を検討しその結果を組合に説明し協議する等の事項を確認した。

被告公社東海電気通信局(以下単に通信局とあるは同局を指称する)は右中継機械化計画に基き昭和三三年六月一四日組合東海地方本部(以下単に地方本部とあるは同地方本部を指称する)に対して(イ)津電報局の電信内勤部門の現定員一〇〇名を改式後定員三五名に減じ、改式後配置人員を四一名とし、過剰人員五五名を配置転換すること、(ロ)岐阜電報局の電信内勤部門の現定員一二一名を改式後七七名に減じ、改式後配置人員を八六名とし、過剰人員二〇名を配置転換すること、(ハ)配転実施期日は一二月一日を目標とすること等を内容とする配置転換計画を提示した。これに対して組合は同年七月五日通信局に対し意見書を提出して津電報局の要員を五六名、岐阜電報局の要員を一一五名とすること、改式後も特例休息のランクを下げないこと(当時両電報局における特例休息は日勤一〇分、中勤三〇分、夜勤六〇分、宿直一六〇分となつていたが、計画によれば改式後はランクが切り下げられ、日勤中勤は零となり、宿直は二〇分減となり実労働時間の延長を来たすこととなる)、交替準備時間を設置すること、その他計画実施に伴う労働条件の低下を防止するための諸要求を提示し、その後数次にわたり両者間において団体交渉が行われ事前協議をなした。ところで右要求はいずれも労働条件に関する事項であつて、組合が中継機械化計画の実施に対処して、締結した前記協約等により明らかに団体交渉の対象となり得るものであるに拘らず通信局は特例休息及び交替準備時間に関する事項は通信局と地方本部間の団体交渉事項でないと主張し、組合の要求を拒絶して殆ど計画案どおりを実施するという最終的態度を表明し、右計画を一方的に強行する意思を改めなかつたため、事前協議は同年八月五日期間満了名下に不調のまま終了した。

そこで地方本部はその後の基本方針として(イ)職場(関係電報局)における組合活動を基盤として要員の増加要求及び改式後の労働条件の向上(特に労働時間の短縮)を目的とする運動を進める、(ロ)配置転換計画を修正させるため団体交渉を継続することを決定し、この基本方針に従つて爾後同年一二月に至るまで組合三重県支部、津電報局分会等の関係支部、分会に対し具体的組合活動並びに職場交渉等を指示指導した。その間地方本部は同年一一月六日地本指示第二号をもつて一一月一五日以降総合訓練拒否の準備体制をとること、同日以降年次休暇、生理休暇の完全消化並びに電報業務作業実施を守る闘いを強化する準備をすること等の指示をなし、同年一一月一三日地本指示第三号をもつて一一月一五日以降年次休暇の完全消化及び電報業務作業実施方法を守る闘いを強化し職場団交を強力に行うべき旨指令し、同月二六日地本指示第五号をもつて所属各県支部に対し津電報局分会の職場交渉支援のためのオルグを派遣せしめて闘争を強化すべき旨指示すると共に同月二九日地本指令第六号をもつて同日以降一方的配置転換を拒否し連日集団交渉を行えとの指示をした。

組合三重県支部(以下単に支部とあるは同支部を指称する)は同年九月五日支部と津電報局分会(以下単に分会とあるは同分会を指称する)との代表者をもつて構成する合理化対策委員会を設置し、津電報局は改式後の労働条件について組合案をもつて団体交渉を強化してゆくこと、職場交渉を裏付ける大衆行動として時間外労働の規正、年次休暇生理休暇の完全消化、作業実施方法を守る運動の完全実施を行うことを決定し同年一〇月、三重県下関係一一分会の代表者を含めた合理化対策委員会を設置し、同月一五日開催の第一回会議において当局が服務変更を一方的に実施した場合はこれを拒否することを決定し、同年一一月七日支部闘争委員長大野勝三は津電報局分会に対し地本指示第二号と同旨の指示及び具体的大衆行動の指示をした。一方支部は通信部と団体交渉を行い、同月一二日通信部は「交替準備時間につき料金の受渡し、運用主任、電信運用部分については必要と考える」旨の確認をなし、これを団体交渉記録書(記録書第六号)に記載し、双方署名捺印して協約化したに拘らず、同月一四日一方的にこれを取り消し、同月一五日以降は支部交渉及び津電報局の職場交渉を一切拒否する旨の通告をした。そこで支部は同月一九日支部闘争委員会を開き同月二〇日以降闘争本部を津電報局に集結し、一切の責任は県支部にあることを明確にし、県下全分会に対し同日以降常時一〇名の動員を要請することを決定し、各分会にその旨指示した。

津電報局分会は以上の如き地方本部及び支部の指示指導に従つて電報中継機械化に伴う労働条件の低下を阻止し、向上させるための組合活動をしたのである。その間同年一〇月一三日の津電報局と分会との職場交渉において津電報局は要員に関する当局案を提示し、同月二五日の職場交渉において改式後の服務線表を提示したが、分会は同月二七日臨時大会を開催し、改式後の電信内勤要員は五三名とし、特例休息は現行通り、交替準備時間は一週六〇分とする旨の決議をなし、同月三一日の職場交渉において津電報局は「分会提示案につき具体的交渉をなした上公社案の四二名以上を必要とすることになればこれが変更増加を図るため努力する」旨の確認をなし、同年一一月七日の職場交渉において公社案の実況配置を一部修正増加すべく再検討をなすことを約したが、同月一五日以降は職場交渉を一方的に拒否し、同月二〇日には配転事前通知書の交付を強行するに至つたものである。右の如く津電報局分会は地方本部、支部の指示指導に基き終始統制ある正当な労働組合活動を行つたのである。

然るに被告公社は前記協定を誠実に履行せず、組合の要求を全て拒否し、下級交渉委員会における交渉を極度に制限し、組合活動に関する在来の既得権慣行を認めない等の違法な労働政策を打ち出して、同年一二月一日配置転換を実施すると同時に本件争議行為において最も強力に労働組合活動を展開した支部の組織を崩壊させるため、その中核である津電報局分会の副分会長原告杉原東洋児、分会書記長原告伊藤忠治、分会特別執行委員原告若林泰弘(旧姓大西)を懲戒免職処分にしたものである。

以上により明らかなとおり、原告等は組合員として正当な組合活動をしたに止まり、被告公社主張の如き行為はしていないから懲戒解雇事由不存在により本件免職処分は無効である。仮に然らずとするも原告等の正当な労働組合活動を理由とするものであるから無効である。

原告等の給与は日本電信電話公社法第六五条に基き定められた給与規定に準拠し、その昇給、夏季及び年度末の各手当、仲裁特別手当、能率向上対策費の支給もそれぞれの規定に基いてなされるものである。右によれば昭和三三年一二月一日以降における原告等の賃金債権は別紙第一ないし第三目録記載のとおりである。

よつて原告等は被告に対し本件懲戒免職処分の無効確認を求め、且つ別紙目録記載のとおりの昭和三三年一二月分以降昭和三五年七月分までの賃金とこれに対する本訴状送達の翌日以降完済まで年五分の遅延損害金及び昭和三五年八月一日以降本判決確定に至るまでの毎月の賃金の支払を求める。

被告主張の解雇理由に対し次のとおり反駁した。

(1)  一一月一四日

分会は津電報局と同日午後一時より交替準備期間について職場交渉を行つたのであるが、前記の如く通信部は同月一二日の支部交渉において「交替準備時間については料金の受渡、運用主任、電信運用部門については必要と思う」旨を確認していたに拘らず、その下部機関の津電報局に対し右確認事項の周知指導を怠つたため同月一四日午後一時開かれた分会と津電報局との団体交渉において津電報局は交替準備時間を必要とせず、且つこれを設けない旨述べたので事態は紛糾するに至つた。そもそも団体交渉は公開を原則とするも秘密を旨とする非公開を主張すべき理由はないから分会は当日も集団交渉の申入れをしていたが、局側が右の如き発言をなしこれを固執するので午後四時三〇分頃組合員は交渉場の局長室に入つたのである。午後五時頃通信部労務厚生課長山本林蔵が来局して交渉に参加し、通信部と電報局間に意識統一をするため休憩を求めたので午後六時二五分から午後七時三〇分まで休憩した。そして午後七時三六分再開されたが、山本課長は「右確認にある通信運用部門とは通常業務を含まず、検査部門だけをいうもので、しかも必要性は認めても準備時間を設定するとはいわなかつた」旨前記確認事項を否定するが如き発言をなした。組合側はその非をただしたところ局側は全般的に検討するという趣旨で休憩を求めたので午後九時三〇分より午後一〇時五五分まで休憩した。ところがその休憩時間中に通信部は組合に対し一方的に右団体交渉記録書第六号の取消を申し入れると共に津電報局に対して「交替準備時間を認めてはならない」旨指示したため、津電報局側も「通信部で交渉記録書に記載された協約が結ばれた以上、上部の納得を得て出さざるを得ないと考え上部に直言したが通信部の撤回申入れがあつたのでわれわれとしてはどうすることもできず申訳ない。責任は局側にある」旨述べるに至つたので事態が紛糾し、交渉は翌日午前五時迄続いたものである。右の如く交渉が長時間にわたつた責任は前記確認事項を破棄しようとした局側にある。

(2)  一一月一五日

原告伊藤及び若林はいずれも当日被告主張の現場にいなかつた。すなわち、原告伊藤は当日午前八時より同一〇時迄の間は前夜来の団体交渉のため疲れて自宅で睡眠中であつたし、午前一〇時より正午迄は支部分会合同闘争委員会に出席しており、又原告若林は午前九時より正午迄組合用務で津市役所社会教育課へ出向いていた。次に組合員がビラ若干枚を貼つたことは認めるが管理者はこれに対し何等制止しなかつた。ビラのうち「本日より局長はいません」とあるのは、一一月一四日の団体交渉において局側交渉委員が「管理者として自信を喪失した」旨述べたことに対し自然発生的に生じた憤りに起因するものである。

(3)  一一月一六日

原告杉原及び伊藤は当日午前一〇時より午後二時迄津市内八百音飲食店で開かれた支部分会合同闘争委員会に出席していたから被告主張の如き行為が存在する筈はない。

(4)  一一月一八日

電報が停滞し、局側において使送しようとしたことは認めるがその余の事実を否認する。当日原告杉原及び伊藤は組合員の連絡により通信課へ行つたところ、水谷監査課長が大阪線の滞留通信に番号を記入していた。当時局側は団体交渉を拒否し、機械化に伴う問題を未解決のままに放置しているのに対し組合側は団体交渉により誠実な解決を要望していた折柄であつたので原告杉原及び伊藤等は監査課長及び通信課長に対し「目先の電報を使送することのみによつては問題の根本的解決にはならないのだから、団体交渉を再開し且つ組合員の切実な要求を上申して解決方法を講じて貰いたい」旨申し入れてその反省を求めたところ、同課長等は自ら「使送を中止します」と述べて使送準備中の電報を元の場所へ返したのである。この間勤務者で離席したものはいなかつた。

(5)  一一月一九日

当日電報の停滞のあつたことは認めるが被告主張の電報の停滞に関する基準標準速度は否認する。同日午後局側管理者が掲示文を持つて通信課内に入り、室内南側壁面に掲示しようとしたので、室内にいた勤務時間外の組合員二、三名は「そんところに張ると既に掲示されている統計表が見えないではないか」、「そんな挑発的な行為をするよりもつと大切な事態の解決をはかれ」と申し入れ、当時の紛糾状態を悪化させないように善処すべきことを求めた。その頃局内休憩室にいた組合員約一〇名が入室した。それにも拘らず、局側は掲示を強行しようとし掲示板の前にいた組合員の顔面上に無理に張つたためビラは破れたのである。この間原告若林は勤務時間中で通信課室内にいたが、右紛争の際は離席しておらず、原告伊藤は紛争終了直前に入室し、又原告杉原は「紛争を起すような挑発行為はするな」と抗議したに過ぎず、何れも通信を中止させるが如き言動をしていない。

次に使送について、同日午後七時より午後一〇時三〇分まで津市内の八百音飲食店において地方本部役員二名、支部役員及び分会役員全員により第八回合同闘争委員会を開催していたが、その途中、職場から局側が使送を行おうとしているとの連絡を受けたので、同委員会は先ず地方本部役員片野及び支部役員谷川、渡辺を指導並びに収拾のため現場に赴かせた上会議を続行した。その後右の者の帰りが遅いので委員会の全員が現場に赴き通信課室に入つたときには既に局側管理者は自ら使送を中止し事態は終熄していた。

従つて原告等は何れも被告主張の紛争に関係がないのみならず局側管理者は自発的意思に基いて使送を中止したもである。

(6)  一一月二〇日

被告主張の如き業務妨害行為及び暴言はなされたことはない。年次休暇に関する抗議は局側が「今後一切の休暇の請求に応じない」との違法な通告をしたのに基因するものであり、当日午前八時三〇分頃長野分会長は通信課長に対し右通告に対する抗議をなした上電報局長との話合いをなし、再び通信課長に交渉をなし、次いで分会役員杉原、伊藤、増井と共に午前中局側と交渉したものである。通信部長に対しては上級機関としての責任及び問題解決のため方法等につき集団交渉を申入れその交渉をなしたものである。配転事前通知書の拒否は既に東海地方本部及び支部が指示し且つ一一月一八日開かれた分会臨時大会において決定されていたもので、組合として当然の行為に出たもの過ぎない。又当日開かれた集団交渉のうち、午後〇時三〇分以後のものは地方本部が指導し、午後四時以降の分は支部及び分会長の責任と指導の下に行われたものでその交渉自体に何等違法はなく、以上の何れについても原告等に責任を問わるべきものはない。

(7)  一一月二一日

原告杉原及び伊藤が分会役員として組合役員中北幸男の専従休暇請求につき交渉するのは当然の組合活動である。その間原告等に行き過ぎた行為はなかつた。

(8)  一一月二二日

原告等に被告主張の如き所為はない。当日午後三時以降の局長室における集団交渉は支部が実施したものであり、従つて支部役員が交渉の主体であつて、原告等は同席して補助的発言をしたに過ぎなかつた。

(9)  一一月二三日

当日午前一〇時より午後四時迄津電報局宿直室における支部主催の三重県下全分会より役員が参加する職場交流会議が開かれ津電報局分会よりは分会長長野、原告杉原、伊藤が参加した。従つて原告杉原、伊藤はその間右会議場に居り、午後四時頃局長室に入つたものであつて被告主張の如き行為はなしていない。なお当日は組合員大市悦子が妊娠のため勤務に耐えられなかつたので年次休暇を請求したところこれを拒否さたことから紛糾したものである。

(10)  一一月二六日

当日警職法反対の職場大会が開かれたことは認めるが、その余の被告主張事実は否認する。原告伊藤は午後一時半より同四時迄津電報局屋上における東海四県下分会組合の職場交流会議に出席していた。

(11)  一一月二七日

当日通信部業務課長に対し毎日新聞の記事内容について釈明を求めたことは認めるが、午後三時頃には終つており、被告主張の如き言動はなかつた。又使送妨害の事実はない。警官隊導入までの組合員の行動は全て支部書記長八谷伏見雄の指揮による正当なピケツテイング及び説得行為である。当日原告若林は午後四時より、同五時三〇分迄通信課室内で勤務した後、午後五時三〇分より同七時迄食事及び入浴のため局外へ出ていた。

(12)  一一月二九日

原告等が被告主張の如き行為をなしたことはない。警官隊導入に対する抗議は原告等を含む分会役員を除外して支部及びオルグ団の指導によつて行われたものであつて原告等に責任はない。

以上の如く原告等には何等その責に帰すべき違法行為がないのみならず右行為がいずれも上部機関である地方本部及び支部の指示指導の下になされた労働組合活動であるに拘らず、被告は右上部機関の役員及び分会長に対して何等の処分も行わずに原告等のみを解雇したのであつて、この点よりするも懲戒解雇に値する事由のないことが明らかである。(証拠省略)

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め次のとおり陳述した。

被告は公法上の法人であつて、その職員に対する懲戒処分は特別権力関係に基く行政監督権の作用である。これを詳述すれば、日本電信電話公社は公共企業体なる公法上の法人であつて、国営事業の公共性と企業性という相反する目的を調和させ能率的に運営するために考え出された国家経済行政組織の一型態である。従つて公共性の面は公法の規律を受け、その企業性の面は私法の規律を受けるという公私両法に跨る存在となる。日本電信電話公社法第八五条の「不動産登記法、土地収用法その他政令で定める法令については、政令の定めるところにより、公社を国の行政機関とみなしてこれらの法令を準用する」との規定、同法第三五条によつて職員に準用される同法第一八条の「委員は罰則の適用に関しては法令により公務に従事する者とみなす」との規定は公法適用分野を表示するものであり、同法第八条が「民法第四四条、第五〇条及び第五四条の規定は公社に準用する」と規定するのは私法適用分野を表示するものなのである。すなわち、公社の組織法的関係は公法関係であり、公社の経済的作用関係は私法関係なのである。公社職員の服務関係が右にいう組織法的関係に属することはいうまでもない。公社社員は国民全体に対する奉仕者として国の企業に従事するものであつて国家公務員の服務関係とその本質において何等異るところはない。従つて公社社員の勤務関係は特別権力関係にあるものであつて、公社における職員に対する懲戒処分は特別権力関係に基く行政監督権の作用であるといわねばならない。

かくの如く懲戒免職処分は公法上の行為であるから重大且つ明白な瑕疵のない限りこれが無効確認の訴は失当である。すなわち懲戒処分は職員の勤務についての秩序を保持し綱紀を粛正して職員としての義務を全からしめるためにその者の職務上の義務違反その他職員としてふさわしくない非行に対してなされるものであるから(日本電信電話公社法第三三条、同社職員就業規則第五九条)懲戒権者は自らの裁量によつて懲戒処分を発動するかどうか懲戒処分のうち何れの処分を選ぶべきかを決定することができるものである。よつてその処分が全く事実上の根拠に基かないと認められる場合であるか、若しくは社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を越えるものと認められる場合を除き、これが裁量の適否を争うことは許されない。まして右処分を無効ならしめるためには該処分の根拠となつた事実の評価について重大にして且つ明白な誤りを犯しているか、さもなければ明らかに懲戒権を濫用したと認められるような場合でなければならない。ところで原告等は本件懲戒解雇処分の無効理由として原告等においては右第三三条に該当するような違法な行為はなく、本件免職処分は専ら原告等の所属する組合の団結を弱めることを目的としてなされたものであると主張する。しかし原告等が本件免職処分を不当労働行為であるというからには原告等が津電報局の電報中継機械化反対闘争において指導的役割を演じたことを自認しているものといわねばならない。懲戒権者の東海電気通信局長は原告等のこうした電報中継機械化闘争における違法な争議行為を目して日本電信電話公社法ないしは同公社就業規則に違反するものと認め原告等を免職処分にしたものであり、それに何等の瑕疵はない。仮に同局長に事実評価の点において若干の誤りがあるとしても、それは重大にして且つ明白な瑕疵というには当らないものであることはいうまでもないから今日においては最早やこれが確認の訴は許されないものである。

右の如く原告等に対する本件懲戒処分は公法上の行為であり、そして該処分はこれを絶対無効とする程の重大且つ明白な瑕疵の存するものではないことは原告等の主張自体に徴して明らかなところであるから本訴請求はその余の点を判断するまでもなく失当として棄却せらるべきである。

原告主張の請求原因事実のうち、原告等がいずれも被告公社の社員として津電報局に勤務していたこと、被告公社東海電気通信局長が昭和三三年一二月一日付で原告等をその主張の事由で懲戒免職する旨の意思表示をなしたこと、被告公社が岐阜及び津電報局について第一次及び第二次電報中継機械化計画を発表したこと、被告公社と組合との間に原告主張の如き協約、協定が締結されたこと、被告公社東海電気通信局が昭和三三年六月一四日組合東海地方本部に対して中継機械化に伴う職員の配置転換計画を提示したこと、これに対し地方本部が原告主張の如き意見書を提出したこと、地方本部が地本指示第二号及び第三号を出したこと、原告等がその主張の如き組合員であつたことは認めるが、本件懲戒免職処分が原告等の正当な労働組合活動を理由とするものであること、原告等の賃金額がその主張のとおりであることは否認する。

通信局長が原告等を懲戒免職処分に付したのは次の理由による。

通信局は岐阜及び津電報局等の電報中継機械化の実施に伴い職員の大量の配置転換が必要になつたので二回にわたり職員の希望を徴して慎重に検討したうえ、昭和三三年六月一四日地方本部に対して職場配置転換計画を提示した(昭和三二年一一月三〇日公社と組合中央本部間に締結された「職員の配置転換に関する協約」第三条及び「職員の配置転換計画の協議に関する覚書」による)。これに対して同年七月一九日地方本部は(イ)改式後の電信内勤要員として津電報局関係においては五六名を残留させること、(ロ)配置転換計画の一部を修正し、遠隔局及び無希望局への配置計画を変更すること、(ハ)改式に先き立つて行われるところの実用設備についての応用駆使の訓練とサービスの品質の事前調査に関する計画(以下総合訓練計画という)を提示することを要求する旨の意見を提出したので、通信局は以後同年一〇月一四日迄の間地方本部との間において数回にわたり説明協議を重ねた結果、配置転換計画及び総合訓練計画については地方本部の了解を得るに至つた。ところが地方本部は新たに津電報局の電信部門における特例休息のランクを現行どおり維持すること、一週六〇分の交替準備時間を設置すること、服務線表の協議は現地(津電報局と津電報局分会を指す)の自主的交渉に委ねることの要求を提出して来たが、これらの要求は要するに勤務時間の短縮との要員の増加を狙うものであつた。

しかしながら右のうち、特例休息は昭和三二年一一月三〇日被告公社と組合中央本部間に締結された「特例休息に関する覚書」によつて定められているものであるから、これを通信局と地方本部間の交渉(以下地方交渉という)により変更し得るものではなく、又組合の要求する交替準備時間とは出勤簿への捺印、被服の着替え、掲示の閲覧、担当表を確認して表返す行為等に要する時間を指すものであるから、実質上拘束時間の短縮を結果し、これまた全国的な問題として地方交渉で解決し得る事項ではない。服務線表の作成変更についても、昭和三二年一一月三〇日被告公社と組合中央本部間に締結された「勤務時間及び週休日に関する協約」第五条及び「勤務時間および週休日に関する協約の了解事項」によれば服務線表はまず電報局長が作成し、その実施予定日の一カ月前までにこれを分会に提示してその意見を聞くこと、分会は右の提示を受けたときから一週間以内にこれに対する意見を電報局長に提示すること、そして電報局長と分会とが協議しても、右服務線表を分会に提出したときから二週間以内にまとまらないときは電報局長は通信局長に上申すること、通信局長は地方本部と協議し、右上申書のあつた日から一〇日以内に協議がととのわないときは服務線表を一方的に決定することと定められているものであるから、これまた現地の自主的交渉にまかすことは許されない。

よつて通信局長は昭和三三年一〇月一五日地方本部の前記要求に対し協約規定に定めるところに従つて措置する旨回答したのであるが、地方本部はこれに対し前記の如く同年一一月六日地本指示第二号を、同月一四日地本指示第三号を発するに至つた。こうした間に津電報局においては一〇月二五日分会に対し改式後の服務線表の提示を行い、分会の意見の提出を求めたのであるが、これに対し分会は組合側算出による電報内勤要員数の獲得を目標として、服務線表の協議に当つては先ず各回線の配置人員を決めなければならないと主張して譲らず、これに加うるに(イ)改式後の電信部門の特例休息は現行どおりとすること、(ロ)交替準備時間を設定してこれを服務線表に明示すること、(ハ)各回線についての配置人員数(以下実況配置計画という)を組合に明示すること、(ニ)要員増加を行うことの要求を掲げて、服務線表提示以来殆ど連日にわたつて職場交渉を展開した。しかし特例休息の問題、交替準備時間設定の問題は前述したところによつて明らかなように、通信局の下部機関である電報局と地方本部の下部組織である分会との間の職場交渉によつて解決しうべき事柄ではないし、実況配置計画の問題も所属長が回線の繁閑をみて裁量すべき事項(公共企業体等労働関係法第八条にいう管理及び運営に関する事項にあたる)に属するものであるからこれまた職場交渉事項ではない。

それにも拘らず津電報局は分会の納得を得ることを目的として分会の求めに応じて長時間にわたる職場交渉を行い、同年一〇月三一日には午前一〇時頃より午後一〇時頃まで、同年一一月五日には午後三時頃より翌六日午前二時頃まで、同月七日には午後一時四〇分頃より翌八日午前一時三〇分頃までというように長時間にわたり、しかも交渉場には分会の希望により傍聴者も入れて、電報局側は分会側の要求に対する当局側の見解を披露し、且つ丁寧に説明したのであるが、分会はこれに一顧だに与えぬ態度をとつたために遂に同月一〇日午前一〇時頃から開かれた職場交渉において電報局側は書面をもつて実況配置計画に関する当局の見解を明示すると共に爾後この問題については交渉を打ち切る旨を宣言した。ところが同日朝通信課長が職員の一名からなされた年次休暇の請求を許可しなかつたことに端を発して多数の組合員が押し寄せ同課長に休暇不承認の理由を追及して午後二時に及ぶという事態が起つたため、電報局としてはこの事態を収拾するため分会に対し年次休暇附与に関して話し合うことを申し入れたところ分会は公開交渉を要求し、局側が従来の公開交渉の状況に鑑みてこれを拒否したにも拘らず、多数の組合員が交渉場たる局長室に入り、多数の威力を示して午後一二時頃まで電報局側交渉委員を同所に軟禁したので、遂に局側としては実況配置計画の問題についても翌日再び話し合うことを約束せしめられるに至つた。かくして再び実況配置計画の問題について同月一一日午後四時五〇分頃から午後九時頃まで、同月一二日午前九時四〇分頃から翌一三日午前二時頃までにわたつて職場交渉が継続された。そして同月一四日は津電報局における服務線表協議の期限であつたので、午前一〇時頃から交渉がもたれたが、同日をもつて交渉は決裂し、爾後は全く常規を逸した集団行動が展開されるに至つた。以下日を追つて順次その状況を明らかにする。

(1)  一一月一四日

当日午前一〇時頃より服務線表に関する協議が行われ、開会劈頭分会が交渉委員以外の組合員に傍聴させるよう要求したため紛糾したが、午後一時頃になつて局側の意見に従つて交渉委員(分会側は原告杉原及び伊藤を含む)のみによる協議に入つたところ午後三時四〇分頃組合員約四、五十名が交渉場内に乱入して喧噪を極めたので、局側は団体交渉の打切りを宣し組合員全員の退去を求めたに拘らず、組合側は「組合の要求に対して満足すべき回答の得られる迄は動かぬ」と叫んで居据り、翌一五日午前五時迄局側交渉委員の脱出を不能にしたうえ、その間「局長は反動管理者として烙印を押す。全電通一六万が一体となつて今後どこの局に転じようとも受入を拒否する」、「局課長とも団交できないものと認め、従つて管理者と認めない」等の罵声を浴びせた。

(2)  一一月一五日

原告三名を中心とする分会組合員は当日午前七時頃より局長室の扉を始め庶務課長室の扉、食堂前の廊下等数個所に「本日より局長は居りませんから御用の方は組合へ申出て下さい」、「当局には管理者はいません」と模造紙にマジツクインキで書いたビラ多数を張りつけたので、これを見た庶務課長が剥がしにかかつたところ、原告杉原及び若林は附近にいた組合員を呼び集めて同課長を取り巻き「何故ビラを剥ぐのか。お前達は管理権を放棄したのではないか」、「剥がせばまた書いて張るぞ」と申し向けてこれを阻止した。次いで午前七時五〇分頃通信課室内にも同様のビラが張られていたので、通信課長が室内にいた非番者に撤去を命じたが応じなかつたため、自らビラを剥がそうとしたところ、原告杉原が中心となつて同課長を取り巻き「無駄なことは止めよ。もし剥がしたらその倍のビラをすぐ張るぞ」と言つてこれが撤去を阻止した。同課長はその後午前九時頃及び午前一〇時頃の二回にわたり原告三名等にビラを撤回するよう命じたが、原告等は前同様の言葉を述べてこれに応じなかつた。

(3)  一一月一六日

前日のビラが依然張られたままであつたので、通信課長が当日午後一時半頃原告杉原及び伊藤に撤去するよう命じたが、同原告等は「取るなら実力で阻止する。あえてトラブルを起したいのか」と言つて組合員を集め、同課長を取り囲んでこれが撤去を阻止したのみならず、同日以降益々管理者を誹謗するビラを局舎内の到るところに張つた。

(4)  一一月一八日

分会は規正通信と称して送信速度を故意におとす戦術をとつたために電報の停滞が甚しく、殊に大阪線では午後二時三〇分現在約二〇〇通三時間以上の停滞となつたので、局側では大阪行電報を名古屋に使送することの方針を立て、通信課長及び監査課長が通信課長席で同線の電報約一五〇通を取り揃えていたところ、原告杉原及び伊藤ほか約一五名(午後三時過ぎには約二五名に増加)が使送を阻止すべく課長席に押し寄せ右課長等を取り巻き、原告杉原及び伊藤は交々「電報は電車で運ぶものではないぞ」、「電報を使送するのなら大阪線だけでなしに全部を使送しろ」と大声でどなり、更に原告杉原は一層大きな声で「使送するなら回線を止めるぞ。おおい、みんな通信中止だ」と叫んで通信中止を教唆煽動し、室内は喧噪を極め通信作業も出来ない有様となつたので通信課長は勤務者に対しては自席に戻るよう、非番者に対しては室外に退出するように命じたけれどもその効なく、このような状態が三〇分以上も続いたので、同課長は止むなく電報使送を断念した。

(5)  一一月一九日

組合は通信課室出入口附近に「標準実施方法を厳守せよ」との指令文を張り出してこれを指示したため津電報局における電報の停滞は著しくなり、各担当者の送信速度が、音響回線においては一分間約五〇字(標準実施方法の定めでは一分間八五字を標準とし、通常は一〇〇字以上を送信している)、印刷回線においては一時間約二〇通前後(標準実施方法の定めでは一分間二〇〇字でこれを一時間についてみると約一〇〇通から一二〇通程度となる)と低下し、午後二時現在における主要回線の電報停滞状況は東京線七九通二時間一一分、大阪線二〇九通四時間三七分、伊勢線八〇通一時間五八分、四日市線七二通二時間二〇分という状態であつた。そこで局側は「規正通信を中止して正常な業務運行に復元されたい」旨の警告文を通信課室内に掲示することとし、午後三時三〇分頃局長補佐等四名が右掲示文を持つて通信課室に入り、同室内の掲示板に掲出しようとしたところ、原告伊藤及び若林を先頭として二〇数名の者が自席を立つて右掲示板の壁に沿つてスクラムを組み、原告伊藤、若林等は「警告文は張る必要がない。持つて帰れ」、「公社側の挑発行為だ」、「貼れるものなら貼つてみよ」、「局長自ら張りに来い」と大声で叫び且つ腕と身体で局長補佐等を突き飛ばすようにして掲示板のところから出入口の方へ押し返して両者もみ合ううちに張りかけた警告文を引きちぎり、又原告杉原は右警告文の掲出を妨害すると共に通信ベルトの上に飛び乗つて大声で「通信中止だ」と叫んで通信中止を教唆煽動した。

午後七時四〇分頃電報の停滞は更に甚しくなり、大阪線では八時間以上遅延した電報が約五〇〇通にも達するに至つたので、局側では先ず大阪行の電報を使送することに決し、通信課長及び同副課長が右電報約五〇〇通を取り揃えて通信課室より搬出しようとしたところ、原告伊藤及び若林が先頭に立つて二〇余名の者がこれを取り囲み「課長また使送を始めるのか、根本の原因を考えずに小細工しやがつて」、「他の電報はどうするのだ。使送がしたけりや全部してしまえ」、「お前等は使送以外に考える手がないのか。この混乱はお前達の責任だぞ。通信が止つてもよいか。早くその電報を座席に戻せ」と大声でどなりながら大阪線座席の方へ押し戻した。この様子を見た通信部労務厚生課労働主任が通信課長等の救援に入つて同課長から使送電報の束を受け取つて脱出しようとするや、原告伊藤及び若林等は「電報泥棒だ。気をつけろ」等と罵声を浴びせ、且つ同人の胸や肩を小突き廻して遂に同人のだきかかえていた電報の束を力づくで奪い取つた。この間約一時間にわたり通信課室内は騒然として勤務者も殆んど離席し通信は完全に麻痺してしまつた。

(6)  一一月二〇日

電報局は電報の停滞が甚しい状況に鑑み、当日午前一時一〇分頃規正通信に関する警告文と年次休暇は闘争の手段として請求されるかぎり当分の間一切許可しない旨の通知文を局舎出入口の階段の壁に掲示したところ、午前八時五〇分頃原告杉原及び伊藤は自席で執務中の通信課長に対して年次休暇を請求し、拒否されるや「アホ言うな。年次休暇は労働者の権利だぞ。今日はまだ休む余裕があるじやないか」、「俺は忙しいのだ。青欠(無断欠勤)なり何なり勝手にしろ。後でまた結末をつけるからな」との暴言を吐いて同課長の業務を妨害した。次いで午前一〇時頃局長補佐が通信課室に来て副課長席で通信状況を監視していたところ原告杉原及び伊藤等数名の者が副課長席に押し寄せ、局長補佐に対し年次休暇に関する掲示文について抗議し、又午前一〇時二〇分頃原告伊藤は通信課長席前の電話で局長室に電話して局長に対し「馬鹿野郎」等の暴言を浴びせた。

午後〇時三〇分頃原告杉原及び伊藤を中心とする約二〇名の者は業務打合せのため局長室へ入ろうとした通信部長等通信部管理者三名を取り囲み、「部長、われわれの話を聞いて貰いたい」、「逃げるばかりが能ではない」と叫びながら同人等を多数の人垣で巻き込むようにして食堂内に連れ込み、総数約五〇名をもつて約一時間にわたり脱出を不能にしたうえ罵詈雑言を浴びせた。

午後三時頃より同四五分頃迄局長室で竹内電報局長より小川石長外一九名の者に対して配置転換の事前通知書が交付されたが、その際、原告杉原及び伊藤外約四〇名の組合員は局長室前廊下の両側に立ち並び、呼び出しを受けて順次局長室に入る配転対象者に対して「しつかりやつて来いよ」と声をかけ、特に原告杉原及び伊藤は局長室の扉の間に腕或は足を入れその閉鎖を妨害して廊下から室内を監視し「頑張れ」等の掛け声をかけて事前通知書の受領拒否を煽動した。これがため事前通知書は準職員二名を除き受領を拒否された。

そして右配置転換の事前通知書交付の間局長室の隣りの訓練室で待機していた通信局調査役、通信部長等四名が事前通知書の交付が終つたので午後四時二〇分頃局長室へ行こうとして訓練室を出たところ同室前廊下附近に集合していた組合員約五、六〇名が原告若林を先頭にして出口を塞ぎ、「俺達の話を聞け」とどなりながら同人等を強引に室内に押し戻して取り囲み、交替準備時間の実施、特例休息ランクの維持、要員確保等の組合要求に対する回答を強要し、罵声、怒号、笑声を浴びせて吊し上げ、その間原告若林は通信局調査役に対して今にも撲りかからんばかりの気勢を示したが、午後七時四〇分頃一旦休憩し後刻局長室で局長をも交えて話し合うとの条件で解散した。同じ頃局長室には原告杉原及び伊藤を先頭に約一五、六名の組合員が闖入し、局長に対して年次休暇に関する掲示の説明を強要し、机を叩き罵声怒号を浴びせて午後六時一五分頃迄吊し上げた後、午後八時から再び話し合うことを条件に解放した。かくて午後八時過頃局長室において局長、通信局調査役等管理者と組合員との話合いが再開されたが、状況は前同様であつて、原告杉原及び伊藤を中心とする約六〇名の組合員は右局側管理者に対し翌二一日午前二時頃迄交々罵声怒号を浴びせて吊し上げた。右の間分会は局舎出入口に監視員を配置して局舎への出入を監視制限していた。

(7)  一一月二一日

当日午前八時三五分頃分会執行委員中北幸男から庶務課長に対し専従休暇の請求がなされたが同課長がこれを拒否したところ、原告杉原及び伊藤外数名の組合員が同課長のもとに押し寄せ午後一時一〇分頃迄種々難詰して同課長の業務を妨害した。又通信課長も通信課員三名よりなされた年次休暇の請求を拒否したことについて数名の組合員から種々難詰された。この頃通信課長は殆んど終日年次休暇の請求を受け、これを拒否するや組合員から吊し上げを受けて自己の業務を執る暇もなかつたのである。

(8)  一一月二二日

当日午前九時頃より通信課長は通信課員一三名から交々年次休暇の請求を受け、これを拒否するや、約一〇名の組合員が応援のため同課長席に押しかけて抗議を繰り返し、同課長をして午後六時三〇分迄応接を余儀なくさせた。

局側は前日午後六時四五分頃分会長及び分会執行委員を招致して通信の疎通遅延、局舎内のビラ、ポスターの取りはずし命令に応じないこと及び管理者を監禁して暴言を浴びせる等の行為をなすことに対する警告文を手交すると共に同日午後七時一〇分頃右警告文を階下に掲出したが、二二日午後二時四五分頃分会役員外約一〇〇名の組合員が局長室に押し寄せ、局長、局長補佐、通信局調査役、通信局電信課長等に対し右警告文について説明を求め、且つ分会の今迄の行動が何故違法なのか、年次休暇を付与しないのは労働基準法違反である等質問抗議を繰り返し、局長及び通信局調査役の懇切丁寧な説明にも納得せず、原告三名が中心となつて机を叩き「馬鹿野郎」「それでもお前は局長か」、「納得しなければ朝迄出さんぞ」等の罵声を浴びせ、局長が「これ以上は見解の相違であるから説明の要はない」と打切りを宣して一同の退去を求めたに拘らず、益々大声で答弁を強要し、果ては局長の声が低くて聞えないといつてその口許にマイクを突きつけ、その間原告杉原は局長に向つて「なにつ、俺の質問に答えないというのか。撲つてやろうか」と叫んでマイクを振り上げるなどして午後一〇時一五分頃迄の間(途中夕食のため午後八時より午後九時頃迄解放したのを除き)多数の威力を示して吊し上げた。

(9)  一一月二三日(日曜日)

当日午前一〇時頃原告杉原は通信の疎通状況を調査するため通信課室へ入つた監査課長に対し「監査課長が休みの日に通信課に入つて疎通を調べるのはけしからん」と言つて退去を強要し、その頃入室した局長補佐に対しても「局長補佐の責任ですぐ帰してくれ。そうでないとトラブルが起る」と申し向けて監査課長を退去させるよう強要して、同課長の業務を妨害した。

その後、通信課副課長席で執務中の局長補佐に対して玉井外数名の組合員が年次休暇の請求をなし「病気以外は認めることができない」と言つて拒否されるや、原告杉原及び伊藤は増井外数名の者と共に抗議に押し寄せ「今日は日曜日で丁度よい。通信も止めてしまうがどうだ」、「今日の年休は全部認めよ」と大声で迫り、又増井の如きはバケツに水を汲んで来て「頭を冷やせ」、「頭から水をぶつかけてやろうか」と言つて濡れタオルを突きつける等の行為に及び、局長補佐が静粛にするよう再三注意したが、益々大声をあげて罵詈雑言を繰り返し、局長補佐の周囲を取り囲んで退室を阻止した。そこで午後〇時三五分頃局長補佐が用便を理由に漸く囲みを抜けて局長室に避難したところ、原告杉原及び伊藤を先頭に二〇数名の者がこれを追つて局長室に押し入り、午後四時頃迄前同様にして吊し上げた。

(10)  一一月二六日

当日午前八時三〇分頃から午前九時まで中央指令による警職法反対の時間内職場大会が通信局管内の動員者四〇〇名を集めて電報局中庭で開催され、分会は午前九時三〇分頃から右動員者をもつて通用門、裏門、通信課室入口にピケ隊を配置し、一方通信課内には規正通信の指導員が配置され、規正通信は極度に強化され、その上通信課長に対する年次休暇の請求も一段と激しさを加えた。そこで局長補佐が午後〇時三〇分頃通信状況をみるため通信課室へ入ろうとしたが中北分会執行委員外一名に阻止されたので、隣りの監査課室より通信課室へ入り通信課長席で通信状況を監視していたところ午後一時四五分頃原告杉原及び伊藤の外中北等組合員五名が課長席に押しかけ、局長補佐に対し「一体何の目的で座つているのだ。課長事務を執るなら年休請求に応じろ。それもできないというのなら退去しろ」と詰め寄り、原告伊藤は実力をもつて局長補佐を室外へ押し出した。

(11)  一一月二七日

当日午前一〇時半頃原告杉原は通信部業務課長が通信課室で電報の疎通状況をみた後局長室へ入ろうとしたところを見つけて、「おい、こいつを行かせるな」といつて居合わせた組合員を集めて人垣を作り、同課長を庶務課長室に連れ込んで庶務課長席の隣りに無理矢理座らせ、十数名で取り囲み、一一月二四日付毎日新聞に掲載された電報局の中継機械化反対闘争に関する記事(サボ行為で電報遅れるとの見出しで、通信部が二三日組合に対し次のような声明を発したとの記事、「組合は連日深夜まで幹部を缶詰にして集団交渉を続けると共に休暇戦術と称して多人数集団で休暇を強制したり、遵法闘争といいながら不当なサボ行為を行つている。このため津局中継電報が遅れている。これらのなかには緊急電報重要電報もあり、客に迷惑をかけている。この状態を取除くため同電報局長名で警告したが、未だにこの状態が続いているのでこの上は決然たる措置をとる」)について、「誰が書いたか」「どうしてあのようなことを書いたか」等と詰問し、「この馬鹿野郎」と大声でどなりつけ、更に事務の邪魔になるからと言つて廊下に出た同課長を再び皆で取り囲んで庶務課室隣りの休憩室に連れ込み、長椅子の上に座らせて約三〇人で取り囲んで、原告杉原及び若林を先頭に、口々に「人間の命は二つはない」、「二階から胴上げして落してやろうか」、「決闘をしようか」、「今は勤務中だが午後五時が過ぎて外に出れば一対一だ」、「月の出ない晩もあるが知つとるか」と脅迫的言辞を弄し、途中昼食及び一度用便に行かせたときも「逃げようとしても逃さぬ」と言つて監視して午後五時迄引き続き監禁して吊し上げた。

同日正午現在の重要回線の電報停滞は、東京線一八九通二〇時間二三分、大阪線四二五通二一時間四六分、名古屋線九六通一九時間一四分、伊勢線二五四通二二時間五〇分、四日市線一八二通二〇時間一三分、静岡線八四通一八時間三五分、松阪線二四通四時間四〇分と甚しくなつたので、局側は疏通策として差し当り大阪、四日市、伊勢、松阪方面への電報を使送することに決め、午後〇時四〇分頃局長、通信課長等六名の管理者が通信課室に入り、課長席においてその準備にとりかかつたところ、原告杉原及び伊藤を中心とした十数名の組合員が局長等を取り囲み「電報は回線で送るものだ」、「使送するなら実力で阻止する」、「使送前に根本問題を解決しろ」等大声でどなつて搬出を妨害し、これに呼応して他の者も騒ぎ出して回線全部が止つてしまうおそれが生じたので、遂に午後一時三〇分頃使送を断念せざるを得なかつた。

しかしながら午後四時頃電報停滞状況は、東京線二七九通二三時間四〇分、大阪線四八五通二六時間五分、名古屋線八五通一九時間五二分、伊勢線二七七通二五時間二二分、静岡線一一四通二〇時間四七分、松阪線四七通五時間一三分、四日市線二〇〇通二二時間七分となつて最早一刻の躊躇も許されない状態に陥つたので、局側としては如何なる妨害を排除しても使送を実施する決意を固め、午後四時二〇分頃局長室に副分会長原告杉原、分会書記長原告伊藤を招致し右の趣旨を伝えて妨害しないよう申し入れたが、同人等はこれを肯じないので改めて使送を実施するから妨害しないように警告した後、通信局電信課長を先頭に管理者数名が電報を使送すべく通信課長室に赴いたところ、いち早く原告杉原及び伊藤は約三〇名の組合員を動員して通信課室前にスクラムを組んで管理者側の入室を阻止し、管理者側が使送を妨害しないよう、またスクラムを解いて退去するように再三命じても罵声労働歌をもつて答える有様であつて、右の如き状態は午後六時二〇分頃警官隊が出動する迄続いたのである。その間通信課室内では通信課長が管理者側を誘導するため扉を開けに立ち止つたところ、これを見た原告若林は「課長、このざまは何だ。またまたみんなで使送をやる積りか。こんなことで問題の解決ができると思つているのか」とどなつてこれを阻止せんとし、又警官隊が出動するや、局長及び庶務課長に対して「通信室へ土足で踏み込んでもよいのか」と語気鋭く食つてかかつた。

(12)  一一月二九日

当日午前一〇時五〇分頃原告伊藤及び若林等は二階おどり場附近に警官出動を批難するビラを掲示し始めたので、通信局職員課信田博己が立ち止まつてこれを読みかけたところ、原告杉原は同人に対し「お前は大きな顔をして何を見ているのだ」、「あつちに行つておれ」と罵声を浴びせ、且つ右手で同人の首筋をつかまえて突き飛ばした。

午前一一時頃通信局電信課長が巡視のため通信課室へ入つたところ、これを見た原告三名等二〇数名の者は同課長を取り囲み、「課長、俺たちの職場によくも大きな顔をして入つて来たな。昨日は何だ。貴様は警官隊を導入したな。この俺達の神聖な職場へ泥靴で。恥知らず奴、警官が入つて五分とたたぬうち全国の通信屋が知つて怒つた」、「課長は労働者の敵だ。三重県到るところに労働者はいる。お前は三重県を歩けないようにしてやる。全電通新聞にお前の写真を出して俺達の職場を汚した奴はこいつだと一六万同志に訴えてやる」等脅迫的言辞を浴びせ、「電報がたまつたら又警官を入れるのか。さあ答えろ」と今にも殴らんばかりの気勢を示して約一時間余り同課長を吊し上げた。右の間原告伊藤は同課長を救出すべく赴いた労務厚生主任に対し「お前はここに来んでもよい。出て行け」と言つて同人の胸倉を突き飛ばした。

こうした騒ぎが行われている最中に、局長は通信部、警察署と打合せを終えて帰局し二階食堂前の廊下にさしかかつたところこれを見た原告杉原及び伊藤は廊下に飛び出して局長の行手を遮り、原告伊藤がその上衣の襟をつかみ、原告杉原がその片腕をつかんで食堂に引張り込もうとしたので、局長は附近にあつた帽子掛につかまつて必死に抵抗したが、右原告等は駈けつけた二三十名の組合員の応援を得て、局長を強引に食堂内に引きずり込み、ソフアーの上に押しつけ、原告三名が中心となつて「警官を呼んだ責任者はお前だろう」、「あのことを何と思うか」と回答を迫り、罵声を浴びせ、局長が室外に出ようとすると人垣をもつてこれを阻止したが、午後一時二五分頃に至り漸く昼食と医師の診療を受けるため一時間を限つて解放した、局長は疲労困憊の極に達していたので局舎から脱出したいと考えたが組合員多数が局長室附近で見張つていたため、止むを得ず午後二時三〇分頃再び食堂に赴き、午後五時半頃迄前同様の吊し上げを忍受せざるを得なかつた。その間午後一時過ぎ頃原告伊藤は局長の身を案じて食堂に入ろうとした労務厚生主任に対し「何しに来たのか。出て行け」と肩を強く突き飛ばした。

右の如く津電報局の中継機械化に対して昭和三三年一一月始めより同月二九日までの間にわたつて、常軌を逸した反対闘争が分会役員の指導の下に繰り返されたのであるが、同月二九日中継機械化の切替が断行せられたため漸く終息するに至つた。

以上を要するに、右闘争期間中における原告等三名の非違行為として

原告杉原は(1)一一月一四日局側交渉委員を監禁し、吊し上げたこと、(2)同月一五日局舎内に無断でビラを張り付け、上司からの撤去命令に応ぜず、且つ撤去を実力で阻止したこと、(3)同月一六日上司からのビラ撤去命令に応ぜず、且つ撤去を実力で阻止したこと、(4)同月一八日電報使送を実力で阻止し、職員に対し通信中止方を教唆煽動したこと、(5)同月一九日警告文の掲出を妨害し、職員に対し通信中止方を教唆煽動したこと、(6)同月二〇日(イ)通信課長の業務を妨害し、局長補佐に対し罵詈雑言を浴びせ、(ロ)通信部長を食堂内に連れ込み監禁し吊し上げ、(ハ)配置転換の事前通知書の受領拒否を教唆煽動し、(ニ)局長室に無断侵入し、局長等を監禁し吊し上げたこと、(7)同月二一日庶務課長の業務を妨害したこと、(8)同月二二日局長等を監禁し吊し上げ、局長に対しマイクを振り上げて殴打の気勢を示したこと、(9)同月二三日(イ)監査課長の業務を妨害し、(ロ)局長補佐を監禁し吊し上げたこと、(10)同月二六日局長補佐に対し退去強要したこと、(10)同月二七日(イ)通信部業務課長を監禁し吊し上げ、脅迫的言辞を弄し、(ロ)二回に亘つて電報使送を実力で阻止したこと、(12)同月二九日(イ)通信局職員に対し暴力を振い、(ロ)通信局電信課長を吊し上げ脅迫的言辞を弄し、(ハ)局長を食堂に連れ込み監禁し吊し上げたこと。

原告伊藤は、(1)一一月一四日局側交渉委員を監禁し吊し上げたこと、(2)同月一五日局舎内に無断でビラを張り付け、上司からの撤去命令に応ぜず、且つ撤去を阻止したこと、(3)同月一六日上司からのビラ撤去命令に応ぜず、且つ撤去を阻止したこと、(4)同月一八日電報の使送を実力で妨害したこと、(5)同月一九日警告文の掲出を妨害し、警告文を破りすてたこと、電報使送を実力で妨害したこと、(6)同月二〇日(イ)通信課長の業務を妨害し、局長補佐、局長に対し罵詈雑言を浴びせ、(ロ)通信部長を食堂内に連れ込み監禁し吊し上げ、(ハ)配置転換の事前通知書の受領拒否を教唆煽動し、(ニ)局長室に無断侵入し局長等を監禁し吊し上げたこと、(7)同月二一日庶務課長の業務を妨害したこと、(8)同月二二日局長等を監禁し吊し上げたこと、(9)同月二三日局長補佐を監禁し吊し上げたこと、(10)同月二六日局長補佐に対し退去強要したこと、(11)同月二七日二回に亘つて電報使送を実力で妨害したこと、(12)同月二九日(イ)局舎内にビラを無断で貼布し、(ロ)通信局電信課長を吊し上げ脅迫的言辞を弄し、労務厚生主任を突き飛ばし、(ハ)局長を食堂に連れ込み監禁し吊し上げたこと。

原告若林は(1)一一月一五日局舎内に無断でビラを張り付け、上司からの撤去命令に応ぜず、且つ撤去を阻止したこと、(2)同月一九日(イ)警告文の掲出を妨害し、警告文を破りすて、(ロ)電報使送を実力で阻止したこと、(3)同月二〇日(イ)通信部長を訓練室に連れ込み監禁し吊し上げ、(ロ)局長等を局長室に監禁し吊し上げたこと、(4)同月二二日局長等を局長室に監禁し吊し上げたこと、(5)同月二七日(イ)通信局業務課長を監禁し吊し上げ、脅迫的言辞を弄し、(ロ)局側管理者に対し、電報使送につき抗議し、局長に警官出動につき抗議し罵声を浴びせたこと、(6)同月二九日(イ)局舎内に無断でビラを貼布し、(ロ)通信局電信課長を吊し上げ、脅迫的言辞を弄し、(ハ)局長を食堂に連れ込み監禁し吊し上げたこと

について各自その行為者として糺弾さるべきと共に原告等三名は分会の幹部として右の如き組合活動を指導した幹部責任を問わるべきものである。

右のほか、原告等三名の非違行為として原告杉原東洋児は、昭和三三年一一月二〇日乃至二二日、二四日、二六日乃至二九日の八日間無断欠勤し、一〇月一日より一一月末に至る迄、就業規則第一三条に違反して出勤簿に押印せず、上司より押印するよう再三注意されたが、押印は交替準備時間に行うべきものであり、交替準備時間を求めない以上押印はできないといつて肯ぜず、原告伊藤忠治は一一月二〇日、二四日、二五日、二七日、二八日の五日間無断欠勤し、一一月三日より一一月末迄就業規則第一三条に違反して出勤簿に押印せず、前同様上司よりの注意に応ぜず、原告若林泰弘は執務時間中屡々自席を離れて集団交渉に参加し、他の職員の休暇附与請求に加担して管理者に対し休暇附与を強要し、或は通信課室に入室した管理者に対して罵声を浴びせ、その周囲を取り捲いて職務執行を妨害する等の行為に及び、所属長の執務命令及び職場復帰の指示に再三にわたり従わなかつた事実がある。

被告公社東海電気通信局長は、原告等三名の以上の非違行為を日本電信電話公社法第三三条第一項に該当するものとして原告等を懲戒免職処分にしたものである。(証拠省略)

理由

原告等がいずれも被告公社の社員として津電報局に勤務していたこと、被告公社東海電気通信局長吉村克彦が昭和三三年一二月一日付で原告等に対し懲戒処分として免職する旨の意思表示をなしたことは当事者間に争がない。

被告は右懲戒免職処分が公法上の行為であると主張する。所謂公共企業体における職員の勤務関係についてこれが公私いずれの面による法的規制を受けるかは争のあるところであるが、日本電信電話公社とその職員との間の勤務関係の法的性質は以下述べる理由によつて私法関係とみるべきものと解する。

いうまでもなく日本電信電話公社は従前純然たる国家の行政機関によつて運営せられて来た公衆電気通信事業の合理的且つ能率的な経営体制を確立し、公衆電気通信設備の整備拡充を促進し、並びに電気通信による国民の利便を確保することによつて公共の福祉を増進するという目的をもつて、国家の意思に基いて設立せられた公法人である(日本電信電話公社法第一条)。しかしながらその事業主体が公法的組織形態を有するとか、その事業活動が公共性を有するとかいうことによつて直ちに公社とその職員との間の勤務関係が公法関係であると速断することはできない。何となれば、電報電話事業の如きはその本質において国家権力と直接の関係がなく一私人によつて経営するも何等差支えのないものである。ただ従前国家機関が経営して来たのを企業の合理的且つ能率的運営を図るために独立の企業体に改めるに際し、公共の福祉の増進の目的と共に従来国が経営して来た経緯及び公社の出資金が全額政府支出であるとの行政政策上の見地からこれを純然たる私企業とせずに公法的に組織された企業体として設立したに過ぎないものとみるべきであつて、公社と職員との間の勤務関係を考えるに当つてもその組織形態如何にとらわれることなく、勤務関係の本質においてとらえるべきものであり、従つて私企業における雇傭関係と何等異るところはないものといわなければならない。

尤も右勤務関係について公社法は国家公務員におけると同様に職員の任免の基準、懲戒、服務の基準に関する規定(第二九条、第三一条、第三三条、第三四条)を置いているが、これらと同趣旨の規定は私企業の就業規則においてもみられるところであつて、このような公社法の規定をもつて公社職員の勤務関係が公法上の関係にあるという証左となすこともできない。

又公社法によれば国は公社の経営について監督権を有している。すなわち、公社は経営委員会によつて業務の運営に関する重要な事項を決定するが、右委員の任命は内閣が国会の承認を経てこれをなし(第一二条第一項)、委員には一定の欠格事由があつて、その地位の公正をはかり(第一二条第三項)、予算について国会の承認を経べきものとされ、その支出方法等を厳格に規定している(第四一条乃至第六一条)。しかしながら、これらはむしろ政府がその資本金全額を出資していること(第五条)により国としてその事業運営に重大な関心を抱かざるを得ないことに由来するものというべく、その職員の勤務関係について直接これを規制することは公社法の明示するところではないし、又これが規制することを本来の趣旨とするものでもないとみるべきである。右勤務関係については別に公共企業体等労働関係法を設けてその労働組合活動の面から規制を加えているが、これは事業の公共性から業務の正常な運営を阻害する一切の争議行為を禁止するところにその主眼があり、これによつてその勤務関係の本質が私法的なものであることを変更するものではない。なお公社法では失業保険法第七条の規定の適用については職員が国に使用されるものとみなされる旨定められているが(公社法第八三条)これは技術的措置に過ぎないものであつて職員の性格を表現するものではない。

以上によつて明らかな如く公社と職員間の勤務関係は私法的規制を受けるべきものであるから被告の主張は理由がない。

原告は右懲戒免職処分が解雇権の濫用である旨主張する。

そこで先ず本件争議に至る経過について考えるに、成立に争のない甲第二号証の二、四、六及び七、第三号証、第一四号証乃至第一七号証、第二〇号証の一、二、第二二号証、乙第一号証、第二号証、第四号証、第五号証の一、二、第六号証の一乃至三、第七号証、第八号証の一、二、第一三号乃至第一九号証、第二二号証、第二四号証、第二五号証、第二七号証乃至第三一号証、証人八谷伏見雄の証言(第一回)によつて成立の認められる甲第一八号証の一、二、第一九号証、証人村瀬惣一の証言によつて成立の認められる甲第二八号証の一、二の各記載、証人八谷伏見雄(第一回)、村瀬惣一、森田成一、野口芳一、竹内謙一の各証言によれば、次の如き事実が認められる。

被告公社は企業設備の合理化を図るため名古屋中央電報局における通信方式を中継機械化することになり、その実施期日を昭和三三年一一月二九日と定めた。右中継機械化が行われると愛知、岐阜、三重県下の主要な電報局は名古屋中央電報局の加入局となることによつて津電報局においては従来電報取扱数一日約八、〇〇〇通であつたのが約二、〇〇〇通に激減することが予想されるに至り、これに伴つて内勤要員に過剰を生じ、大量の配置転換を実施することが必要になつたのである。

そこで被告公社東海電気通信局は配置転換について二回にわたり職員の希望を徴したうえ、三県下における主要電報局の配置転換計画(右計画によれば津電報局の電信内勤要員は従来の一〇〇名から改式後は定員三五名、保留要員五名、減耗要員二名合計四二名となり、職員五五名準職員七〇名の配置転換が行われる計画)を樹立し、昭和三二年一一月三〇日被告公社と日本電気通信労働組合中央本部との間に締結された「職員の配置転換に関する協約」第三条及び「職員の配置転換計画の協議に関する覚書」に基き、昭和三三年六月一四日開かれた組合東海地方本部との団体交渉においてこれを提示して組合側の意見を求めた。これに対し組合東海地方本部は同年七月一九日の団体交渉において同月五日付団体交渉申込書を提出し、そのなかで(イ)改式後の電信内勤要員として津電報局関係においては五六名を残留せしめること、(ロ)配転先が関連なき職種への転種、通勤時間片道九〇分以上を要する局所への配転、希望のない局、職種への配転を止めること、(ハ)改式に先き立つて行われるところの総合訓練計画(実用設備についての応用駆使の訓練とサービスの品質の事前調査に関する計画)を予め組合に提示すること、(ニ)特例休息につき、改式後電職第一五〇号の適用ランクの下る局(津電報局はこれに入る)については現行ランクの適用を維持すること、(ホ)交替準備時間を一週六〇分設定すること等を要求した。要員数について、公社案が電報取扱数から全体の人員を算出してこれを座席毎に配分するという方法をとつているのに対し、組合案は時間別及び座席毎に必要人員数を割り出してこれを合計しており、公社側の認めていない一週六〇分の交替準備時間を設定し、又年次有給休暇を完全に消化することとして欠務率を算出しているところに公社案との相違がある。更に特例休息とは電報局の規模及び作業態様によつて業務能率向上の見地から特別に与えられている休息時間を言うものであつて、これは昭和三二年一一月三〇日被告公社と組合中央本部間に締結された「特例休息に関する覚書」及び昭和三二年四月八日制定された「職員の勤務時間、週休日および休暇について」(電職第一五〇号)第一の一七項および別表(一)の電信関係欄の2号によつて通信座席二五座席以上の電報局または取扱通数一日平均五、〇〇〇通以上の電報局(但し何れも東京、大阪中央電報局および東京気象無線電報局を除く)として通信作業に従事する職員に対して日勤の場合一〇分以内の休息時間を与えられるものである。

津電報局の場合中継機械化により通信座席数及び取扱通数が減つて適用ランクが下がる結果従来認められていた特例休息時間が大幅に削られるので、組合は労働条件を低下させないため中継機械化後も現行ランクを維持すべきことを求めたものである。

その後同年七月二六日より同年一〇月一四日までの間通信局と地方本部との間に数回に亘り団体交渉(地方交渉)が行われ、その間総合訓練計画については略了解が成立したが他の点については協議成立するに至らなかつた。すなわち、通信局側は七月二六日開かれた団体交渉において組合案の要員の算出根拠が納得できない旨述べ、次いで同年八月一三日の団体交渉で、関連職種以外への配置転換者で組合の同意が得られない分についてのみ計画の修正を行う旨告げたが、要員問題については局側算出の要員数が妥当であるから修正する考えはない旨回答した。そして特例休息の問題については、特例休息は前記のように公社と組合中央本部間の協約によつて定められているものであり、これを改正するには公社と組合中央本部間の所謂中央交渉で協議する旨規定されているから、中継機械化に伴い座席数及び取扱通数が減少して特例休息の適用ランクが下がるにも拘らず従前通りのランクで特例休息を付与せんとするには右協約を改定しなければならないが、それは地方交渉で協議決定し得る事項ではないと主張し、又交替準備時間についても昭和三二年一一月三〇日公社と中央本部間に締結された「勤務時間および週休日に関する協約」第五条、「勤務時間および週休日に関する協約の了解事項」により原則として拘束時間に含まれるが、組合の主張するもののうち事務の引継、業務事項の周知伝達等に要する時間は従来認められているところであり、右以外の更衣、出勤簿への押印等に要する時間を交替準備時間として認めるとすれば、実労働時間の短縮となるから全国的問題であつて、電気通信局長の決定し得る事項ではなく、これまた中央交渉で協議すべきものであるとして、いずれも組合の要求を拒否した。なお、組合側は同年一〇月一四日の団体交渉において服務線表の協議は現地(津電報局と組合津電報局分会)の自主的交渉に委ね、通信局はこれを妨げるような指導をしないことを要求したが、服務線表の作成変更に関する協議に関しては、前記勤務時間及び週休日に関する協約第五条および同協約に関する了解事項によれば、服務線表は先ず電報局長が作成しその実施予定日の一カ月前迄に組合分会に提示してその意見を聞くこと、組合分会は右提示を受けたときから一週間以内にこれに対する意見を電報局長に提出すること、局長案提示の日から二週間内に両者で充分協議し、若し右協議が調わないときには組合分会の意見を添付して電気通信局長に上申すること、通信局長は組合地方本部と協議して上申後一〇日以内に協議が調わないときは服務線表を決定することに規定せられているから、右服務線表の決定を電報局長と組合分会との間の自主的交渉に委ねてしまうことは本来通信局長が有している服務線表の決定権を否定することになると主張して組合の申出を拒否した。

そして被告公社津電報局は右協約の了解事項に基き中継機械化実施の一カ月前である同年一〇月二五日組合津電報局分会に対して中継機械化後実施する服務線表を提示してその意見を求め、ここに同月二八日以降これ迄の地方交渉に代つて津電報局と組合津電報分会との間に服務線表についての協議が開始されることになつた。その席上分会は服務線表を作成するための前提として、中継機械化後における特例休息の現行ランク維持、交替準備時間の設置、実況配置(各回線毎の人員配置計画)について具体的資料を明示することを要求し、これが協議を通じて具体的に必要な人員を明らかにすることにより要員の増加を実現しようとしたが、電報局側では、要員数が総体的座席数からでなく電報取扱通数によつて算出されており、電報局としてこの枠内で配転を考慮する余地はあるが、中央で定められた定員の枠を変更することはできない旨答え、更に服務線表に関する具体的要求事項のうち、特例休息及び交替準備時間については従前の回答と同様に中央交渉で協議決定すべきものとしてこれが協議を拒否し、実況配置は所属長が当日の仕事量をみながら能率的になすべき裁量事項であつて職場交渉の対象たり得ないが、組合側の意見を聞いて納得の行くものは修正すると述べ、数回にわたつて職場交渉が行われたが、結論を得ないまま同年一一月一四日二週間の協議期間が終了するに至つた。

右の間組合東海地方本部は被告公社が中継機械化等の企業合理化を推進するのに対して、昭和三二年一一月三〇日組合中央本部との間に「合理化の進展に伴う労働条件等に関する基本的了解事項」を協定し、その中で被告公社が「企業合理化の進展に伴い労働条件を向上させる」、「労働条件特に要員に関係ある設備計画等については計画を変更できる段階で組合に提示し協議する」、「企業合理化の進展に伴つて各事業所での職場環境、厚生福利についての不均衡を救済するよう努力する」等を確認していたに拘らず、今回の津電報局の中継機械化に際しては被告公社が津電報局の特例休息の適用ランクが下がることによつて実労働時間が延長されるに至るのを放置し、極度に切りつめた算出方法によつて要員の計算をなして一人当り労働量の増加を図つていることは右協定の趣旨に反するものとして、昭和三三年一一月六日地本指示第二号を発して「(一)一一月一五日以降年休、生休を完全に消化する運動及び作業実施法を守る運動を強化せよ。(二)、一一月一五日以降総合訓練拒否の準備をせよ」と指示した。次いで同月一三日地本指示第三号をもつて「一一月一五日以降年休生休を完全に消化する運動及び作業実施法を守る運動を背景とする職場の団体交渉を強化せよ」との指示を発し、同日の第八回電報中継機械化対策委員会においてその具体的方法として、(一)年休について毎日二〇パーセント以上、生休について月二日以上を職場長に対する組合員大衆の粘り強い請求によつて管理限界を突き破るという形で行い、もし承認されない場合には強引に休むこと、(二)作業実施法を守る運動として安全速度等実施法に定められた電送方法を厳守すること、(三)交渉は週三回以上行い一般組合員を含む集団交渉の形をとるが、陳情的なものでなく面会強要監禁脅迫にならない程度に強力なものとすることを指導した。以上の指示に基き組合三重県支部でも津電報局分会に対し津電報局に対する大衆行動の強化を指示した。津電報局分会はこれ等の指示に従い要員増加、特例休息ランクの維持、交替準備時間の設置、通勤不可能な局(片道九〇分以上)への配転阻止等を要求して同年一一月一五日以降津電報局において大衆行動をとるに至り、原告杉原東洋児(津電報分会副分会長)、原告伊藤忠治(同書記長)、原告若林泰弘(旧姓大西、同特別執行委員)はいずれも右組合活動に参加したものである。

以上の如き経過に鑑みれば、組合が津電報局と組合津電報局分会との間の職場交渉において要求した要員増加、特例休息ランクの維持、交替準備時間の設置、実況配置計画の明示、配置転換の修正等の事項のうち、要員の問題は計画の協議に関する覚書により中央交渉或は通信局と地方本部間の地方交渉によつて協議決定すべきもので、被告公社は右覚書に従い地方交渉においてこれが協議をなしたものであり、特例休息は特例休息に関する覚書により依命例規電職第一五〇号に従つて付与され、これを改正するには労使双方協議して定めることになつているが、右覚書は被告公社と組合中央本部間において協定されたものであるから、これが改正もまた中央交渉によるべきものであり、又交替準備時間として従来全国的に認められている範囲を越えて津電報局においてのみ更衣、出勤簿への押印等に要する時間についてもこれを認めることは津電報局長の権限外の事項というべく、配置転換についても職員の配置転換に関する協約及び同協約に関する覚書によつて中央交渉又は地方交渉の対象たるべきものとされていて、これらはいずれも電報局と分会間の職場交渉で協議し決定し得る事項ではない。従つて津電報局が職場交渉において実況配置につき組合側の意見を聞いてこれが計画を立てる意向を示した外は全て職場交渉事項でないとしてこれが協議を拒否する態度をとつたことは何等不当とすべきではない。本件争議につき考察するに当つては右の事情が考慮されるべきである。

以下被告主張の具体的な懲戒免職理由について判断する。

成立に争のない甲第二三号証、第二四号証、乙第一〇号証、第四三号証、第五一号証、第六一号証、第七〇号証、証人駒田拓一の証言によつて成立の認められる甲第二三号証、証人野口芳一の証言によつて成立の認められる乙第三三号証、第三六号証、第四四号証、第四九号証、第六一号証、第八一号証、第一〇一号証、第一〇二号証、証人岸田友治の証言によつて成立の認められる乙第三四号証、第五二号証、第五七号証、第七九号証、証人竹内謙一の証言によつて成立の認められる乙第三二号証、第五八号証、第七六号証、第八九号証、証人小林鍾三の証言によつて成立の認められる乙第四二号証、第四六号証、証人信田博已の証言によつて成立の認められる乙第六八号証、第七二号証、第八〇号証、第八四号証、第九二号証、証人友松隆功の証言によつて成立の認められる乙第五九号証、第六四号証、第八二号証、第八六号証、第九〇号証、証人鶴田富一の証言によつて成立の認められる乙第五三号証、第五六号証、証人坂兼明の証言によつて成立の認められる乙第三八号証、第四八号証、第六二号証、第六六号証、第七八号証、証人浜口弘文の証言によつて成立の認められる乙第四一号証、第四五号証、第五〇号証、第六三号証、第六九号証、第七三号証、第九一号証、証人安保正の証言によつて成立の認められる乙第三五号証の一の一、二、第三七号証、第四〇号証、第四七号証、第五四号証、第五五号証、第六〇号証、第六五号証、第七五号証、第八八号証、証人高林久蔵の証言によつて成立の認められる乙第六七号証、証人垣下俊治の証言によつて成立の認められる乙第七四号証、第七七号証、第八七号証、証人加藤市太郎の証言によつて成立の認められる乙第九四号証、第九五号証の各記載、証人安保正及び野口芳一の各証言によつて昭和三三年一一月一五日津電報局舎内におけるビラ貼付状況を撮影した写真であると認められる乙第三五号証の二乃至七、証人信田博已の証言によつて昭和三三年一一月二七日第一回使送の際の状況を撮影した写真であると認められる乙第八三号証の一、同証人の証言によつて同日第二回使送の際の状況を撮影した写真であると認められる乙第三八号証の二、証人野口芳一、竹内謙一、小林鍾三、信田博已、友松隆功、鶴田富一、坂兼明、浜口弘文、安保正、高林久蔵、垣下俊治、加藤市太郎、八谷伏見雄(第一、二回)、長野源大(一部)、谷川三郎、中北幸男(一部)、石川功(一部)の各証言、原告杉原東洋児、伊藤忠治、若林泰弘各本人尋問の結果(いずれも一部)によれば次の如き事実が認められる。これに反する証人長野源大、駒田拓一、中北幸男、増井登、谷口正一、石川功の各証言及び原告杉原東洋児、伊藤忠治、若林泰弘の各本人尋問の結果はいずれも措信しない。

(1)  一一月一四日

当日午前一〇時より津電報局において津電報局(局長竹内謙一外各課長)と津電報局分会(分会長長野源大、副分会長杉原東洋児、書記長伊藤忠治外執行委員)との間に服務線表に関する団体交渉(職場交渉)が開かれたが、同席した交渉委員以外の一般組合員が勝手に発言したり野次を飛ばしたりして交渉を円滑に進行し得ない状態にあつたので、局側の要望により傍聴者を入れないこととして午後一時非公開で交渉を始めた。右席上組合側は交替準備時間の設置を要求し殊に同月一二日行われた通信部と支部との交渉において、通信部が料金の受渡し、運用主任及び電信運用部門について交替準備時間が必要と思う旨述べたところに基いて善処を求めたが、局側では通信部からその旨聞いていなかつたので組合の要求を認めず、交替準備時間の設置をめぐつて両者間に押問答が続くうちに午後三時四〇分頃一般組合員約三〇名が入室して廊下にいる多数の組合員共々口々に交替準備時間の設置を要求し局側が数次にわたり一般組合員の退去を求めたに拘らず、これに応じなかつたところ、午後五時半頃、通信部労務厚生課長山本林蔵が出席して通信部の右発言を確認したので、局側では右確認事項の趣旨に沿うよう意識統一を図ることとして午後六時二五分一旦休憩し、午後七時三五分再開したが、分会側は依然として電報局側が交替準備時間の必要性を認めないことについて抗議した。この間通信部においては通信局とも協議した結果先きに通信部が交替準備時間についてその必要性を認めたもののうち電信運用部門に関してはその必要性なしとの結論を出し、午後九時頃通信部から支部に対し電信運用部門について交替準備時間が必要であるとの発言を取り消す旨申し入れたため、津電報局と分会との交渉においては通信部の確認及びその取消をめぐつて事態は更に紛糾し喧噪裡の中に交渉が継続され、翌一五日午前一時頃一旦休憩したが、この間局側は再度意識統一して午前二時頃再開された職場交渉に臨み、竹内局長より通信局長及び通信部長の指示により現金授受、検査、事故電報引継のほかは交替準備時間を認めない旨述べたため、組合員は激昂するに至つた。そして午前四時頃に至り支部委員長大野勝三が出席して電信運用部門についても交替準備時間を認めよと要求しこれを拒否されるや、大野は「局長を反動管理者として烙印を押す。全電通一六万が一体となつて今後何処の局に転じようとも受入を拒否する」、「局課長共団交ができないものと認め、従つて管理者と認めない」旨述べ、ここに団体交渉が決裂して午前五時頃組合員等は退去した。

(2)  一一月一五日

分会は電報局側が前日からの団体交渉で分会の要求を拒否したのに対し抗議のビラを局舎内に張ることに決め、組合用の掲示場所としては食堂兼休憩室内北側の壁及び局舎一階階段前局側掲示板の半分が認められていたに拘らず、分会所属の組合員が当日午前七時頃局長室入口扉に「謹言、当局には局長も各課長もおりませんので、それらの方に御用の方は通信部の方へお出で下さい。組合」、食堂前廊下壁に「昨夜の交渉で当局の全管理者は自らその職責を放棄されました。従つて本日より当局には局長も課長もありませんから組合の指示通り立派に行動しましよう」、その他庶務課室入口扉等に管理者はいない旨いずれも模造紙にマジツクインクで書いたビラを多数張つた。そこで電報局庶務課長岸田友治が局長室入口扉等のビラを剥がしていたところ、原告杉原及び若林は附近にいた組合員七、八名を呼び集め、原告杉原は岸田庶務課長に対して「何故ビラを剥がすのだ。お前達は管理権を放棄したではないか」、「剥がせば又書いて張るぞ」と言つて抗議し同課長が「立場としてビラは剥がす。それでなければ貴方達の手で撤去して貰いたい」と答えるや、原告若林は「庶務課長の立場はわかる。一応われわれの手で撤去する」と述べたので同課長もその言を信じて立ち去つた。又通信課室においてもその入口扉に「謹告、元管理者とはこちらの利益になること以外はもう絶対に口をききません。ちよろちよろ入つてくるな」、通信課長席背後の壁に「津電報局では今日限り管理者がいなくなつた。恋しい課長よサヨウナラ。親切な副課長もさようなら」その他室内の壁柱にマジツクインクで書かれた組合側のビラが張られてあつたので午前七時五〇分頃通信課長野口芳一が室内にいた非番の組合員に撤去を命じたがこれに応じなかつたので自らビラを剥がそうとしたところ、原告杉原外二、三名の組合員が同課長を取り巻き、原告杉原は「無駄なことは止めよ。もし剥がしたらその倍のビラを直ぐ張るから」と言つて同課長がビラを剥がすのを阻止し、更に午前九時頃及び午前一〇時頃にも同課長が原告杉原及び若林にビラの撤去を命じたがこれに応じなかつた。

(3)  一一月一六日

当日午後一時半頃通信課長野口芳一が通信課室へ入つたところ前日室内に張られたビラが未だそのままであつたので、折柄入室して来た原告杉原及び伊藤にビラの撤去を命じたところ「われわれは絶対に取らせない。取るなら実力で阻止する。あえてトラブルを起したいのか」と言つて、これに応じないのみならず、外数名の者と共に同課長を取り囲み、同課長がビラを剥がすことを阻止した。(原告等は右の頃合同闘争委員会に出席していた旨主張する。しかし証人長野源大、谷川三郎の各証言によれば当日午前一〇時頃より津電報局の隣にある八百音旅館で支部及び分会の合同闘争委員会が開かれ、原告杉原及び伊藤もこれに出席していたこと、右合同闘争委員会は正午頃迄に終了し、引き続いて同原告等分会役員のみで分会の闘争方針を協議したことが認められるが右分会の闘争委員会が午後二時迄行われたとの右各証人及び原告伊藤忠治本人の供述はいずれも措信できないから、必ずしも原告等が午後一時半頃本件現場に居らなかつたことを証するに足りない)

(4)  一一月一八日

分会は地方本部の指示に従い電報業務作業実施方法を守る闘争を展開し、従来通常行つて来た作業量を標準作業量迄低下させたため電報が停滞し始め、殊に大阪線では当日午後二時三〇分現在において約二〇〇通、三時間以上の停滞となつたので、局側では大阪行電報を名古屋迄使送して名古屋から大阪へ通信する方針を立て、野口通信課長及び水谷監査課長が大阪行電報約一五〇通を取り揃え通信課長席で使送番号を押印していた。これを職場パトロール中の組合青年部員二、三名が見付けて直ちに同課長等に使送中止を要求し、更に知らせを受けて駈けつけた原告杉原及び伊藤外十数名の組合員は同課長等を取り囲み、原告杉原及び伊藤が交々「電報は電車で運ぶものではないぞ。電報を使送するなら全部使送せよ。根本的な問題を解決せずに小細工を労するな。そんな暇があるなら問題の解決に力を出せ」等述べて使送の中止を要求し、原告杉原は更に「使送するなら回線を止めるぞ。お―いみんな通信中止だ」と大声で叫び、組合員等も口々に使送中止を叫び、室内は騒然となり、このような状態が約三〇分以上も続いたので同課長等はこのままでは電報の持出が不可能であるのみならず、同室内における通信業務の妨げになると考え遂に使送を断念するに至つた。

(5)  一一月一九日

当日も組合の作業実施方法を守る闘争によつて電報の停滞が著しいので、局側では「作業実施方法を守ると称する行為は故意に通信の正常な運営を妨害する怠業行為であつて争議行為に該当するから直ちに正常な業務に復元されたい。今後これを継続するならば単に組合の責任として対処するに留まらず、これを行つた個々の職員に対しその責任追求を行うことをここに厳重警告する」旨の警告文を作成し、これを通信課室奥の掲示板に掲示すべく当日午後三時三〇分頃局長補佐坂兼明、労務厚生主任安保正がこれを持つて通信課室に入つたところ、駒田拓一、谷口正一、石川功外数名の組合員が壁に背を向けスクラムを組んでその前進を阻止し、又同室内に居た原告伊藤及び若林は十数名の組合員と共に右両名を取り囲み、口々に「警告文は張る必要がない」、「挑発行為をするのか」、「張れるものなら張つてみろ」、「張るなら局長が張りに来い」と叫んで掲出を妨害した。これに対して坂局長補佐等は応援にかけつけた通信部労務厚生課労務主任浜口弘文及び通信局職員部労務課員小林鍾三と共に人垣をかきわけて壁に近付き警告文を掲出しようとしたが漸く下部両端をピンで止めたのみで押し返された。この間入室した原告杉原は通信台の上に乗り「通信を止めろ」と叫んで気勢を煽つた。かくしてもみ合ううちに警告文はひきちぎられ、果ては組合員谷口正一によつて破り棄てられて掲出不能となつた。

午後七時四〇分頃大阪線の電報約五〇〇通が八時間以上も停滞するに至つたので局側ではこれを使送すべく午後八時頃野口通信課長及び黒川副課長が大阪行電報約五〇〇通を先ず通信課室から監査室へ持ち出そうとした。その頃組合側では同日午後七時三五分より津電報局の隣りにある八百音旅館で合同闘争委員会を開いており、原告伊藤、執行委員中北幸男も出席していたが、局側で使送する気配があるとの知らせを受けるや先ず片野地本執行委員及び谷川支部執行委員、続いて原告伊藤等が通信課室に赴き、先刻より同課長に使送中止を要求していた原告若林等十数名の組合員と共に「課長、又使送を始めるか。根本の原因を考えずに小細工ばかりしやがつて」、「外の電報はどうするのだ。そんなに使送がしたけりや、全部使送してしまえ」と言いながら同課長等を押し返したので通信課長は「遅れた電報を早く届けねばならない。この状態では使送より方法はないのだ。仕事の邪魔をせずにのいてくれ」と立退きを求めたが、組合員等は「お前等は使送以外に考える手がないのか。この混乱はお前達の責任だぞ。通信が止まつてもよいのか。早くその電報を座席へ戻せ」と言つて同課長等を体で押し返した。これを見た浜口労務主任が野口通信課長から電報の束を受け取つて出ようとするのを原告伊藤、若林等は「電報泥棒だ。気をつけろ」と叫びながら浜口労務主任を取り囲み、谷川支部執行委員が浜口労務主任から電報の束を取り上げ、これを又野口通信課長が取り返して人垣を押しのけて室外へ出ようとしたが組合員等に押し返されて、約四〇分間押し合いの状態が続き遂に局側は使送を断念せざるを得なくなつた。(原告等は使送中止後現場へ行つた旨主張する。しかしながら原告若林泰弘本人尋問の結果によれば、原告若林は右使送の現場に居たことが明らかである。又証人長野源大、中北幸男及び原告伊藤忠治本人の原告主張事実を肯認する供述する部分は措信し難く、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。)

(6)  一一月二〇日

局側では電報の停滞が益々甚しい状況に鑑み「数日来の年次有給休暇の請求は本来の趣旨を逸脱し業務の正常な運営を阻害せんとする不当な行為であるから今後一切休暇の請求に応じない」旨の通知文を局舎出入口階段の壁に掲示したところ当日午前八時五〇分頃原告杉原は通信課長席に来て野口通信課長に対し年次休暇の請求をしたが、同課長がこれを拒否するや「あほいうな。年次休暇は労働者の権利だぞ。今日はまだ休む余裕があるじやないか。ぐずぐず言わずに休みをくれ」、「こつちは忙しいのだ。年休は請求したときに与えると基準法に出ているようだ。基準法違反だぞ」と言つて強く年次有給休暇を請求し、後から入つて来た原告伊藤と共に年次休暇請求書を出して「俺達は忙しいのだ。青欠なり何なり勝手にしろ。後で始末をつけるからな」と言つたまま立ち去つた。また午前一〇時頃原告杉原及び伊藤外中北幸男等組合員数名が通信課副課長席で通信状況を監視していた局長補佐坂兼明に対し、右掲示文は労働基準法に違反している旨抗議し、更に午前一〇時二〇分頃原告伊藤は通信課長席前の電話で局長を呼び出し「馬鹿野郎。年休の請求に応じるなと課長に命じておいてお前はそれでも津電報局の局長か。労働基準法違反だぞ。俺の今日の年休を許可して貰いたい」と大声で呶鳴つた。

午後〇時三〇分頃三重電気通信部長、山本通信部労務厚生課長及び多米通信部施設建設課長が局長室に入ろうとするや、八谷三重県支部書記長、原告杉原及び伊藤等二十数名の組合員がこれを取り巻き「部長、われわれの話を聞いて貰いたい。逃げるばかりが能でない。われわれの切実な要求をどう思う」と言いながら食堂内に連れ込んだ。

局側は午後三時から局長室で職員約二〇名に対し配置転換の事前通知書を交付しようとしたが、組合では配転拒否闘争の一環として分会臨時大会において右通知書受領拒否の決議をしていたので、組合員は準職員二名を除きいずれもこれが受領を拒否した。その際右八谷支部書記長の指導で原告杉原及び伊藤等約四〇名の組合員は局長室前廊下に立ち並んで配転予定者に対し拍手をもつて送り「しつかりやつて来いよ」と声を掛け、又原告杉原及び伊藤は局長室の扉を開けて室内を監視し「しつかりやれ」「頑張れ」等言いながら組合員の行動を助勢した。

右配置転換の事前通告を終つた後、支部書記長八谷伏見雄は東海電気通信局調査役鶴田富一と組合の要求について交渉すべきことを分会に指示した。そこで訓練室前に居た約六〇名の組合員は午後四時二〇分頃訓練室を出ようとした鶴田通信局調査役通信部長、多米通信部施設建設課長及び小林通信局労務係長の四名を「通信局の者も一度話を聞け」と言いながら訓練室に押し返し、右四名を取り囲み、支部執行委員谷川三郎が中継機械化に伴つて労働条件を向上させるとの協定に公社は違反している旨言葉鋭く詰問し、交替準備時間の設置、現行特例休息ランクの維持、要員確保について通信局側の回答を求め、これに和して数人の組合員が大声で罵声、笑声を浴びせ、原告若林は最も大きな声で罵声をあげ鶴田調査役に対し「一対一で対決してやるから表へ出ろ」と言つて今にも引張りだそうとして同調査役に近付き、原告杉原は「みんな頑張れ、千両役者」などと大声を発した。これに対し、鶴田調査役も応酬していたが、右のような状態が繰り返されたので四名は次第に疲労して五、六回に亘り「疲れたから室から出してくれ」と叫んだが、組合員はこれに応ぜず、午後七時四〇分頃になつて、局長室にいる局長等と一緒になつて話し合うことを条件にして一旦休憩することを了承し、右四名は訓練室を出ることができた。一方午後四時頃分会長長野源大、原告伊藤ほか十五、六名の組合員が局長室において竹内局長、坂局長補佐、岸田庶務課長等に対し前記年次有給休暇に関する掲示について説明を求め、原告伊藤は大声で暴言を浴びせ、執行委員堀、中北は机を叩いたりして年休拒否について抗議したが、局長等は疲労甚しいので午後六時一五分頃一旦休憩した。次いで午後八時過ぎ局長室で交渉を再開し、局側から通信局鶴田調査役、通信部長、竹内局長、坂局長補佐、野口通信課長等、組合側から長野分会長、原告杉原及び伊藤等約六〇名が出席し、組合側は局側の年次有給休暇に関する掲示について説明を求めると共に一切の休暇請求に応じないとは法の精神に反する旨強硬に抗議し、その間原告杉原及び執行委員中北は机を叩き「馬鹿野郎」、「もう一遍言つてみよ」等の暴言罵声を浴びせ、鶴田調査役、竹内局長において疲労困憊を理由に打切りを宣言するも一切受け付けず、翌二一日午前二時頃に及んだ。

(7)  一一月二一日

当日午前八時四〇分頃津電報局庶務課員であつて分会執行委員をしている中北幸男が庶務課長岸田友治に対し専従休暇の請求をしたところ、業務運営に差し支えることを理由に拒否されたので休暇届を置いて立ち去つたが、午前九時四五分頃原告杉原等五、六名の組合員が同課長の処へ来て中北幸男の専従休暇請求を拒否したことについて説明を求め、その後午後一時頃迄組合員が交代で同課長に抗議した。又通信課長野口芳一に対しても、二、三名の組合員が年次有給休暇を執拗に請求した。

(8)  一一月二二日

局側では前日の二一日に「組合は作業実施方法を守る運動と称し従来の慣行を無視して通信の疏通を遅延させ、局側の措置を実力で妨害し、更に局舎内に無断でビラ・ポスター類を貼付し、これが取り外し命令にも応ぜず且つ多数の威力で管理者を軟禁して交渉を強要し、暴言を浴びせる等の行動に出ている。かかる行為は正当な労働組合活動の限界を逸脱し、公社内部の職制に違反するものであつて断じて許すことはできない。分会責任者はもとよりこれに参加した個々の職員に対しても厳正なる処分を行うものであることを通告する」旨の警告書を掲示したところ、二二日これについて分会から説明を要求してきた。そこで同日午後二時四五分頃より局長室において局側から竹内局長、坂局長補佐、垣下電信課長、通信局鶴田調査役等が出席して長野分会長、原告三名、中北執行委員その他約五〇名の組合員に対し右警告文についての説明が行われた。しかしながら組合側は局長の説明に納得せず、原告三名等が中心となつて机を叩き、口々に「馬鹿野郎」、「それでもお前は局長か」、「納得しなければ朝迄出さんぞ」と叫び局長がこれ以上は見解の相違であるからと言つて打切りを宣したが、これに応ぜず執拗に答弁を要求し、更に原告杉原はマイクを振り上げて立ち上り「何ツ、俺の質問に答えんというのか。撲つてやろうか」と言つて殴打しそうな気勢を示し、途中午後八時より午後九時迄の間食事のため休憩したのを除いて午後一〇時一五分頃まで竹内局長等の退出を不能にした。

(9)  一一月二三日(日曜日)

当日午前一〇時頃水谷監査課長が電報疏通状況を調査するため出局して通信課室に入つたところ原告杉原は同課長に対し退去を要求し、更にその頃入室した坂局長補佐に対しても「監査課長が休みの日に通信課へ入つて疏通をしらべるのはけしからん。補佐の責任で直ぐ帰るようにしてくれ。そうでないとトラブルが起る」と述べて監査課長を退去させるよう求めた。

右監査課長が間もなく退出した後、通信課副課長席に居た坂局長補佐に対し、通信課員数名から年次有給休暇の請求があつたが坂局長補佐はいずれもこれを拒否していたところ、午前一一時過ぎ頃分会執行委員中北幸男、増井登、堀和雄等は大市悦子が姙娠中のため年次有給休暇を請求したに拘らずこれをも拒否されたことについて坂局長補佐に抗議すると共に他の者の休暇請求をも認めるよう要求し、更に原告杉原及び伊藤も加わつて局側の態度に抗議し、原告伊藤は「今日は日曜日で丁度よい。通信を止めてしまうがどうだ。さもなければ今日の年休は全部認めよ」と述べ、堀和雄は「バケツに水を入れて来たから冷やせ。それでいかねば頭からぶつかけてやるか」と言い、増井登は濡れタオルを差し出す等するうちに午後一時頃坂局長補佐が大市悦子の身体工合がよくないのを見て漸く同人の年次有給休暇を承認したので、組合員は一旦引き揚げた。しかしながら坂局長補佐が局長室に入るや更に二十数名の組合員が局長室において坂局長補佐に対し午後四時頃迄年休拒否につき抗議した。(原告等は右の頃職場交流会議に出席していた旨主張する。証人谷川三郎、駒田拓一、沢高司、藤田敏枝の各証言によれば、同日午前一〇時過ぎ頃より午後四時頃迄津電話局宿直室において約六〇名の者が参加して職場交流会議が開かれ、原告杉原及び伊藤もこれに出席したことが認められるが右各証言によれば右会議は正午頃より午後一時過ぎ迄昼休みで中断していることが認められるし、右会議場は津電報局の建物内にあるのであるから、原告杉原、伊藤が会議中終始離席しなかつたことの証明がない限り、単に右会議に参加したことをもつて局長室に行かなかつたことを立証するに足りない)

(10)  一一月二六日

当日午後〇時三〇分頃局長補佐坂兼明が通信状況をみるために通信課室に入ろうとしたところ、分会執行委員中北幸男外一名に阻止されたので同局長補佐は隣りの監査課室より通信課室に入り通信課長席に坐つて通信状況を監視していたところ、午後〇時四五分頃原告杉原及び伊藤その他中北幸男等数名の組合員は局長補佐に対し「一体何の目的で坐つているのだ。トラブルが起きないうちに出て行け。課長事務をとるなら年休請求に応じよ。それもできないというなら退去せよ」と言つて退去を要求し、原告伊藤が坂局長補佐を室外に押し出した。

(11)  一一月二七日

同月二四日付毎日新聞三重版に「サボ行為で電報遅れる。三重電気通信部警告」との見出しで「組合は連日深夜まで幹部をカン詰にして集団交渉を続けるとともに休暇戦術と称して多人数集団で休暇を強制したり、遵法闘争といいながら不当なサボ行為を行つている。このため津局中継電報が遅れ、大阪の四、五時間を筆頭に東京、四日市、伊勢方面のものが相当遅れている。これらのなかには緊急電報重要商用電報もあり、客に迷惑をかけている。この状態を取除くため同電報局長が警告したが、いまだにこの状態が続いているのでこのうえは決然たる措置をとる」旨の記事が掲載されたところ、支部では通信部業務課長高林久蔵が右原稿を提供したものとみて同課長を搜していたが、二七日午前一〇時半頃同課長が津電報局へ来て通信課室の電報疏通状況を視察した後午前一一時頃局長室へ入ろうとするところを原告杉原が見付けて居合わせた組合員に「おい、こいつを行かせるな」と呼びかけ、人垣を作つて同課長を局長室の向い側にある庶務課室へ連れ込み、十数名の者が半円形に取り囲んだ後、原告杉原が「誰が書いたか」「どうしてこのようなことを書いたか」と詰問し、同課長が訂正取消の要なしと答えるや、原告杉原は「この馬鹿野郎」と大声で怒鳴り、他の組合員も口々に大声をあげた。このため同室内で勤務中の者の妨げとなるので浜口労務主任の提案で隣りの休憩室へ移り、そこで同課長が長椅子に坐り、片野地方本部執行委員、八谷三重県支部書記長、原告杉原がその周りに腰掛け原告若林その他の組合員三十数名がこれを取り囲んで、八谷支部書記長から右新聞記事について抗議がなされたが、これに対して同課長が応答しなかつたので組合員は口々に「人間の命に二つはない」、「二階から胴上げして落してやろか」、「決闘をしようか」、「今は勤務中だが午後五時を過ぎれば一対一だ」と叫び、原告杉原は「月の出ない晩もあるのを知つとるか」と脅迫的言辞を弄し、午後五時までの間途中昼食と一度用便に行かせたときも「逃げようと思つても逃がさぬ」と言つて監視し、退出を不能ならしめて抗議を続けた。

ところで組合の闘争によつて電報の停滞状況は正午現在東京線一八九通二〇時間二三分、大阪線四二五通二一時間四六分、名古屋線九六通一九時間一四分、伊勢線二五四通二二時間五〇分、四日市線一八二通二〇時間一三分、松阪線二四通四時間四〇分等となり、その停滞が極めて甚しくなつたので、局側では大阪、四日市、伊勢、松阪各線の電報を使送することに決め、午後〇時四〇分頃、竹内局長、野口通信課長等六名が通信課室に入り、竹内局長から長野分会長に使送する旨通告した後通信課長席に至つたところ、原告杉原及び伊藤外十数名の組合員が原告杉原及び伊藤、中北執行委員等を前列にして通信課長席を取り囲み、口々に「電報とは回線で送るものだぞ。お前達は使送すれば問題が片付くと思つているのか」、「外の回線はどうするのだ。使送したつて電報はたまるぞ」と使送中止を要求し、野口通信課長等が「この現状では使送の方法で少しでも早く電報を届けなければならないのだ。邪魔をせずにそこをのいてくれ」と繰り返し述べたに拘らず「この電報がたまつたのはお前等の不誠意が原因だ」、「問題の解決を考えずに使送ばかりやる気か知らんが、俺達はそうはさせないぞ」、「使送するなら実力で阻止して見せる」と大声で怒鳴つて通路を開けず、これに呼応して勤務中の者も通信を止めて口々に使送中止を叫ぶに至つたので使送は事実上不可能のみならず他の回線の通信も麻痺するおそれもあつたため、局側は午後一時二五分頃使送を一時断念する外はなかつた。

しかしながら午後四時になつて電報の停滞状況は東京線二七九通二三時間四〇分、大阪線四八五通二六時間五分、名古屋線八五通一九時間五二分、伊勢線二七七通二五時間二二分、四日市線二〇〇通二二時間七分等と一層甚しくなつたので東海電気通信局長より津電報局長に対し使送命令が出され、通信局森田労務課長より午後四時までに事態を収拾すべき旨の警告をされたいとの指示が出されるに至つた。そこで竹内局長は分会役員である原告杉原及び伊藤を招致してその旨警告を発したが応じなかつたので電報の使送を断行する旨通告し、竹内局長、坂局長補佐、垣下電信課長等数名が使送を実施すべく局長室を出て通信課室へ入ろうとしたところ、支部書記長八谷伏見雄の命令で約三〇名の組合員が原告杉原及び伊藤を先頭に通信課室前廊下に四重五重の人垣を築いてその通行を阻止し、原告杉原及び伊藤、中北執行委員、八谷支部書記長等が中心となつて口々に使送に抗議し、労働歌を歌つて気勢を挙げ、局側の退去要求にも応ぜず、局長等が使送のため通信課室へ入ろうとするのを原告杉原及び伊藤その他中北、東海等の組合員が押し返す等の状態が午後六時頃迄二時間にわたつて続いた。そこで局側は使送を強行すべく遂に警官隊の出動を要請し午後六時二五分頃警官隊の到着によつて組合員等が退出したので漸く使送を実施することができた。一方通信課室内にあつては、午後四時四〇分頃野口通信課長が局側の使送に呼応して、使送準備にとりかかろうとしたところ、勤務中の原告若林が立ち上り「課長、このざまは何だ。又々みんなで使送をやる積りか。こんなことで問題の解決ができると思つているのか」と怒鳴り、更に同課長が竹内局長の呼び声に応じて通信課入口の扉を開け室外の局長を室内へ引張り込もうとしたが、多数組合員が取り囲んでこれを阻止した。

(12)  一一月二九日

当日午前一〇時五〇分頃原告伊藤、若林及び組合員駒田拓一等が二階階段踊場に警官出動に抗議する組合側のビラを掲示した。この時これを読んでいた通信局職員課員信田博已に対し原告杉原は「お前は大きな顔をして何を見ているのだ」、「この掲示は読まなくともよい」と言つて右手拇指と人指指で右信田の首筋を握り「あつちへ行つておれ」と大声を出し同人を突き飛ばした。

午前一一時半頃通信局電信課長垣下俊治が巡視のため通信課室へ入つたところ原告三名等組合員約二〇名が同課長を取り囲み原告杉原及び伊藤が交々「課長、俺達の職場へよくも大きな顔をして入つて来たな。昨日は何だ。貴様は警官隊を導入したな。この俺達の神聖な職場へしかも泥靴で、電信始つて以来の不祥事だ。恥知らずめ。警官が入つて五分とたたぬ間に全国の電信屋は知つた。そして怒つた」と警官隊導入に抗議し、又原告若林は「課長は労働者の敵だ。三重県の至るところに労働者はいる。お前は三重県を歩けないようにしてやる。全電通新聞にお前の写真を出して俺達の職場を汚した奴はこいつだと一六万同志に訴えてやる」と脅迫的言辞を言い、更に原告杉原が「電報がたまつたら又警官を入れるのか。さあ答えろ」と回答を迫つていたが、そのうち竹内電報局長に対する抗議が始まるやこれに合流した。この間労務厚生主任安保正が通信課室にいる垣下電信課長のところへ行こうとしたが原告伊藤は「何しに来たのか。お前はここへ来んでもよい。出て行け」と言つて片手で同人の胸倉を突き更に両手で室外へ押し出した。

組合三重県支部では同月二七日の警官隊導入について電報局長に抗議することに決定し組合員が局長室前廊下で待機していたところ、二九日午前一一時五〇分頃電報局長竹内謙一が外部から帰局し局長室に入ろうとして食堂前廊下を歩いているのを見て、支部執行委員谷川三郎等多数の組合員が通路に立ち塞がり口々に警官隊導入に抗議し、更に原告杉原が同局長の左上腕を、原告伊藤がその襟を掴んで局長を食堂に引張り込もうとしたので局長は食堂入口横にある帽子掛につかまつて抵抗したが、無理矢理食堂内に連れ込んでソフアーの上に押しつけ、四、五十名の組合員が局長を取り囲み、原告三名等は口々に「警官を要請したのは誰だ」と詰問し、同局長が「この部屋へ暴力で引きずり込まれたのだから話す意思はない。この部屋を出て行く」と言つて立ち上つたが人垣に阻止されて出ることができず、午後一時一五分食事及び医師の診察を受けるため一時食堂を出ることを認めたが、多数組合員が見張つているため局外に出る余地なく、止むを得ず午後二時半再び食堂に入つた。そして午後五時半頃迄数十名の組合員が局長等を取り囲み、局長が「今日は話をする意思がないから返事はしない。この室を出してくれ」と繰返し述べたにも拘らず、これに応じないで警官隊導入の責任を追求し続けた。この間午後一時半頃労務厚生主任安保正が竹内局長のところへ行くべく食堂の中へ入ろうとしたところ、原告伊藤は「何しに来たのか。出て行け」と言つて同人の肩を突きばした。

原告三名には以上の如き津電報局と分会との紛争における諸行為が存する外に原告杉原は昭和三三年一一月二〇日乃至二二日、二四日、二六日乃至二九日無断欠勤し、原告伊藤は同月一一日、二〇日、二四日、二五日、二七日、二八日無断欠勤、又就業規則第一三条によれば職員は定刻迄に出勤して自ら出勤簿に押印しなければならないに拘らず、出勤簿への押印は作業準備時間中になすものであると主張し交替準備時間が与えられていないから押印できない旨述べて、原告杉原は同年一〇月一日より同年一一月三〇日迄原告伊藤は同年一一月三日より同月三〇日迄いずれも出勤簿への押印を拒否したものである。

被告は原告等の右の如き行為をもつて日本電信電話公社法第三三条第一項第一号「この法律又は公社が定める業務上の規程に違反したとき」、第二号「職務上の義務に違反し又は職務を怠つたとき」に該当するものとし、右条項に規定された懲戒処分たる免職、停職、減給、戒告のうち最も重い免職処分に付したものである。ところで右条項第一号にいう公社が定める業務上の規程として日本電信電話公社職員就業規則(乙第一〇号証)があり、その第五九条において右第一号及び第二号所定の事由をも含めて懲戒事由が総括的に列記されているから、本件懲戒免職処分が正当であるといえるためには、原告等の各所為が右就業規則第五九条各号に該当し、且つその情状が最も重いものであることを要する。そこで以下順次検討する。

(イ)  一一月一四日の団体交渉が長時間にわたつたのは組合側の交替準備時間設定の要求に対する公社側の態度につき津電報局とその上級機関たる三重電気通信部との間に意思の疎通を欠き、先に一一月一二日通信部は支部との団体交渉において交替準備時間は電信運用部門についても必要とする旨確認しながらこれを津電報局に通知していなかつたため両者の答弁に齟齬を生じ、その上一四日夜半通信部は急拠右確認事項を取り消すの挙に出たため紛糾したことによるものであり、しかも局側においてこの点に関し意思統一をはかるため途中一時間ずつ二回にわたつて休憩がなされたことに鑑みれば、津電報局分会と津電報局との交渉は長時間にわたり、しかも交渉委員以外の多数組合員が参加したとはいえ未だ局側交渉委員の脱出を不能ならしめて監禁したものと認めることはできない。この点について原告杉原、伊藤に責任はない。

(ロ)  一一月一五日分会所属組合員が組合に許容された掲示場以外の場所に局側に無断で多数のビラを張つたことは被告の局舎に対する管理権を侵害する行為であり、しかも右ビラの内容は管理者の存在を否定する趣旨のものであるから就業規則第五九条第一八号(第五条の規定に違反したとき)第五条第六項(職員は局所内において演説、集会、貼紙、掲示、ビラの配布その他これに類する行為をしようとするときは事前に別に定めるその局所の管理責任者の許可を受けなければならない)に該当するが、原告等三名が右実行行為に参加したことの証明はないから、この点につき原告三名に実行行為者として問責することはできない(但し、原告杉原、伊藤に対しその幹部責任を問うことは別論であり、これについては後述のとおり)。

又原告杉原が通信課長のビラを剥がすのを実力で阻止した行為は就業規則第五九条第一九号(故意に業務の運行を妨げ、若しくは妨げることをそそのかしたとき)に該当する。しかし庶務課長に対しては右認定事実によつて未だ原告杉原、若林において同課長の業務を妨げたものと認めるに足りない。原告伊藤についてはビラ撤去を実力で阻止した事実を認めるべき証拠はない。

次に原告杉原が通信課長のビラ撤去命令に応じなかつたことは就業規則第五九条第三号(上長の命令に服さないとき)に該当する。しかし、庶務課長に対しては原告杉原、若林においてその命令に服さなかつたものというに足りず、原告伊藤についてはビラ撤去命令に応じなかつた事実を認めるべき証拠はない。

(ハ)  一一月一六日原告杉原及び伊藤が通信課長のビラ撤去命令に従わなかつたこと及び同課長のビラ撤去を妨害したことは前同様就業規則第五九条第三号、第一九号に該当する。

(ニ)  一一月一八日、一九日、二七日昼過ぎ及び夕刻局側が電報を使送しようとしたのに対して原告三名等組合員のとつた行動は使送を実力をもつて阻止したものというべきである。(但し原告杉原は同月一九日の使送阻止につき実行行為をなしたことの証拠はない)原告等は使送阻止は正当な労働組合活動として認められたピケツテイングであると主張する。しかしながら電報が極度の公共性を有し、しかもその通信内容からみて迅速な処理が必要であつて一刻もその停滞を放置しておくことは許容されないのに鑑みれば、組合の闘争手段たる標準作業実施法を守る運動によつて電報が停滞したのに対処して局側が停滞した電報を能う限り速かに相手局に送り届ける手段として、一先ず業務の正常に行われている他局へ人手によつて電報を使送した後同局から相手局へ通信しようとするのは局側において当然執るべき方法であり、その業務執行行為である。かくの如き電報の使送をなさんとする者に対して組合員が組合の闘争手段たる標準作業実施方法を守る運動に協力を求めて使送の実行を中止することを平和的に説得することはこれを違法とするに当らないが、この限界を越えて実力をもつて阻止することは許されない。一一月一八日には原告杉原、伊藤等組合員十数名は通信課長等が使送をなさんとするのを取り囲み、一一月一九日原告伊藤及び若林等組合員十数名は使送電報を持つて出ようとする通信課長等から電報の束を奪つたり、人垣を作つて押し返し、又一一月二七日二回にわたり原告杉原、伊藤等多数の組合員が使送をなさんとする局長等を人垣を作つて使送を阻止したことはいずれも実力をもつて使送を妨害したものであつて違法と言わねばならない。又右使送阻止行為は地方本部及び支部の指示指導によつて行われたものであるから原告等に責任がない旨主張するが、右の如き指示指導があつたとしても原告等が違法な行為をした行為者としての責任を阻却するものではない。従つて原告等が右使送妨害行為を積極的に遂行したことは就業規則第五九条第八号、第一九号に違反し、しかもその情状は極めて重いといわなければならない。

(ホ)  一一月一八、一九日の二回に亘り原告杉原が「通信中止だ」と叫んだことは原告杉原が使送の妨害行為中又は警告文掲出の妨害行為中になしたものであり、何れも右妨害行為の一手段と認められるのみならず、これにより特に通信が中止された事実も認め難いから原告杉原の右行為をもつて特に右妨害行為と別個に問責する事由となすに足りない。

(ヘ)  一一月一九日局側が電報遅滞に対処し業務の正常な運営をはかるべく警告文を掲出しようとしたのに対して原告三名等組合員は実力をもつてこれを阻止したものであつて局側の業務遂行を積極的に妨害したものというべく、就業規則第五九条第一九号に該当する。なお、警告文を破り捨てたのは組合員谷口正一であつて原告伊藤、若林につきこれを認むべき証拠はない。

(ト)  一一月二〇日、二一日及び二二日に行われた年次有給休暇請求はいずれも組合東海地方本部の指示により争議手段としてなされたものである。労働基準法第三九条第三項によれば年次有給休暇は業務に支障のない限り申出があつたときに付与すべきものとされているが、局側では組合の作業実施法を守る闘争によつて電報が停滞したため、争議の手段たる年次有給休暇の請求は業務に支障のない限り申出があつたときに付与すべきものとされているが、局側では組合の作業実施法を守る闘争によつて電報が停滞したため、争議の手段たる年次有給休暇の請求は業務に支障あるものとして許可しない態度をとつたのであつて、これを不当とする理由はない。しかしながら二〇日午前原告杉原、伊藤の通信課長に対してなした年次休暇の請求は未だ同課長の業務を妨害したものと認め難く、局長補佐に対し罵詈雑言を浴びせた事実も認められない。

一一月二〇日午後〇時三〇分頃以降における原告杉原、伊藤等の通信部長等に対する行動については未だ同人等の身体を拘束し監禁した事実を認めるに足りない。原告若林等の通信部長等に対する行動は実力で同人等の身体を拘束して監禁したものというべく、職場秩序を紊したものとして就業規則第五九条第八号に該当する。

同日午後配置転換の事前通知書が交付されるに際して、配転予定者のとつた行動は津分会臨時大会の決定に基くものであつて、前記認定事実によれば原告杉原、伊藤は通知書交付の際交付を受ける者を声援したことは認められるが、未だ教唆煽動したものというに足りない。

同日午後四時頃より翌二一日午前二時頃に至る局長室における長野分会長、原告杉原、伊藤等の局長等に対する交渉は組合側が局長に対し年次休暇に関する掲示文について説明を求め、局側の年休拒否につき抗議したものであつてそのこと自体は何等違法とすべきものではないが、午後六時一五分一旦休憩するまでは兎も角、午後八時再開された後は、その時間が午前二時に至る長時間に亘つたこと、当局側の説明及び双方の論議は休憩前において殆ど出尽し最早それ以上にこれを重ねる必要のないこと、多人数にて局長等を取り囲み局長等が疲労困憊して打切りを求めてもこれに応じなかつたこと、その交渉の際暴言罵声を放つたことに徴すれば、右交渉は徒らに相手方を長時間にわたり身体を拘束して協議を強要した違法の行為というべきである。従つてこれが実行行為をした原告杉原、伊藤は職場秩序を紊したものとして就業規則第五九条第八号違反の責を負うべきである。原告若林については右交渉に参加したことを認むべき証拠はない。

(チ)  一一月二一日の岸田庶務課長に対する抗議は局側が分会執行委員中北幸男の休暇請求を拒否したことに基くものである。ところで同人は専従職員として認められていないから右休暇請求は組合用務のため年次有給休暇を請求したとみるべきであり、したがつて局側が右休暇請求を闘争の手段とみて許可しなかつたことをもつて不当であるということはできない。しかしながら原告杉原等の右抗議により岸田課長の業務が妨害された事実は未だこれを認めることはできない。原告伊藤については右抗議に参加した事実も認むべき証拠がない。

(リ)  一一月二二日分会側は局側に対し警告文の説明を要求したものであるが、局長等よりその説明をしたにも拘らず、徒らに長時間に亘り同一の質問を繰り返し、多数をもつて局長等を取り囲んで身体を拘束したものであつて、その方法において違法というべきである。その実行行為をした原告三名は職場秩序を紊したもとして就業規則第五九条第八号に該当する。なお原告杉原が局長に対しマイクで殴りかかる気勢を示したことも暴行行為に及ばんとするものであつて違法たるこというまでもなく、同様就業規則第五九条第八号に該当する。

(ヌ)  一一月二三日原告杉原が疏通状況を調査するため通信課室へ入つた水谷監査課長の退去を要求したことは認められるが、これによつて同課長の業務を妨害した事実は未だこれを認めるに足りない。

同日大市悦子の年次有給休暇請求に対し局側が充分その理由を認めずにこれを争議の手段であると一方的に判断して拒否したのは不当であり、これに対し原告杉原、伊藤等の組合員が局長補佐に抗議したのは違法ということはできないし、抗議中局長補佐を監禁した事実を認めるに足りない。もつともその際組合員の中には「バケツに水を入れて来たから冷やせ、それでいかねば頭からぶつかけてやろうか」というが如き脅迫的言辞をなす者があつたが、これはその組合員個人が責任を負うべきものである。

(ル)  一一月二六日執務中の坂局長補佐に対し原告杉原及び伊藤が退去を要求し、実力で同人を室外へ押し出したことは故意に業務を妨害したものであつて就業規則第五九条第一九号に該当する。

(ヲ)  一一月二七日原告杉原等組合員が多数の威力をもつて通信部高林業務課長をその意思に反して庶務課室に連れ込み引き続き休憩室において原告杉原及び若林等組合員が同課長の生命身体に危害を加えるが如き言辞を弄して脅迫し、且つ午前一一時頃より午後五時頃迄その行動を拘束したことは職場秩序を紊したものというべく、就業規則第五九条第八号に該当する。

同日原告若林が通信課内において通信課長に対し電報使送につき抗議したことはそれだけではこれを違法というに当らないし、同原告が局長等に罵声を浴びせた事実はこれを認むべき証拠がない。

(ワ)  一一月二九日原告伊藤、若林が組合に許容されている場所でない二階階段踊場に無断でビラを掲示した行為は就業規則第五九条第一八号、第五条第六項に違反する。

原告杉原が二階階段踊場で信田博已に暴行した行為及び原告伊藤が労務厚生主任の胸倉を突き室外へ押し出した行為はいずれもその程度が軽く、未だ懲戒処分に値する如き暴行であるというには足りない。

同日原告三名等組合員が垣下電信課長に対し警官隊導入に抗議した際、多数でもつて同課長を取り囲み脅迫的言辞を弄したことは全く違法であつて、職場秩序を紊したものとして就業規則第五九条第八号に該当する。

原告杉原及び伊藤が局長を暴力を用いて無理に食堂内に連れ込み、原告若林も加わつて長時間に亘り同局長の行動を拘束したことは違法な行為であつて職場秩序を紊したものというべく、就業規則第五九条第八号に該当する。

(カ)  原告杉原及び伊藤は年次有給休暇の請求を拒否されたに拘らず欠勤したが、津電報局管理者が右年休請求を拒否したことは不当ではないから右欠勤は無断でなされたものというべく就業規則第五九条第一八号、第五条第一項に該当する。又出勤簿への押印は交替準備時間中になすべきものである旨主張して、これを拒否したことは施行中の業務規程に違反した不当のものであつて、就業規則第五九条第一号、第一三条第一項に該当する。

原告若林が屡々無断離席し、管理者の職務を妨害し所属長の命令に従わなかつたとの被告主張事実についてはその行為の具体性を欠き不明確であるのみならず、右に認定した分については同所において指摘した非違行為として問責されれば足り、その他具体的に被告主張事実を認めるに足る証拠がない。

以上により原告三名がその非違行為の行為者として問責さるべきものは次のとおりである。

原告杉原につき、(1)一一月一五日通信課長のビラ撤去命令に応ぜず、且つ同課長の業務を妨害したこと、(2)一一月一六日通信課長のビラ撤去命令に応ぜず、且つ同課長の業務を妨害したこと、(3)一一月一八日電報の使送を妨害したこと、(4)一一月一九日警告文の掲出を妨害したこと、(5)一一月二〇日局長等を局長室に監禁したこと、(6)一一月二二日局長等を局長室に監禁し、局長に暴行の気勢を示したこと、(7)一一月二六日局長補佐に対し退去要求して室外に押し出したこと、(8)一一月二七日業務課長を監禁し脅迫的言辞を弄したこと、二回に亘り電報の使送を妨害したこと、(9)一一月二九日電信課長を監禁し脅迫的言辞を弄したこと、局長を食堂に監禁したこと、(10)無断欠勤し出勤簿に押印しなかつたこと。

原告伊藤につき、(1)一一月一六日通信課長のビラ撤去命令に応ぜず、且つ同課長の業務を妨害したこと、(2)一一月一八日電報の使送を妨害したこと、(3)一一月一九日警告文の掲出を妨害したこと、電報の使送を妨害したこと、(4)同月二〇日局長等を局長室に監禁したこと、(5)一一月二二日局長等を局長室に監禁したこと、(6)一一月二六日局長補佐に退去要求し同人を室外に押し出したこと、(7)一一月二七日二回に亘り電報の使送を妨害したこと、(8)一一月二九日局舎内にビラを無断貼布したこと、電信課長を監禁し脅迫的言辞を弄したこと、局長を監禁したこと、(9)無断欠勤し出勤簿に押印しなかつたこと

原告若林につき、(1)一一月一九日警告文の掲出を妨害し、電報の使送を妨害したこと、(2)一一月二〇日通信部長を訓練室に監禁したこと、(3)一一月二二日局長等を局長室に監禁したこと、(4)一一月二七日業務課長を監禁し脅迫的言辞を弄したこと、(5)一一月二九日局舎内にビラを無断貼布したこと、電信課長を監禁し脅迫的言辞を弄したこと、局長を食堂に監禁したこと。

右の外被告は原告等が組合の役員として幹部責任を追求する。労働組合の組合活動にして組合執行部の決議に基き又は組合幹部の指導の下に行われたときはその決議に参与した組合幹部又は指導した組合幹部はその違法行為について幹部としての責任を負うべきものである。今本件につきこれをみるに、原告杉原は津電報局分会の副分会長であり、原告伊藤は同分会書記長であり、分会の組合活動につき幹部責任を負うべきものであることは固よりのことであり、本件争議において組合三重県支部指導の下に行われた組合活動についても支部と分会との合同闘争委員会において協議決定されたものであることが認められるから、これについても原告杉原、伊藤の幹部責任を免がれないものというべきである。

而して、前記認定事実によればビラ貼布行為、使送阻止行為、年次休暇請求行為、配置転換事前通知書拒否行為は組合活動として行われたものであることが明らかであるから、これが目的を達するために行われたものと認められ、又はそれに伴つて行われたものと認められる(イ)一一月一五日のビラ無断掲出、ビラ撤去命令拒否及び撤去阻止の行為、(ロ)一一月一六日ビラ撤去命令および撤去阻止の行為、(ハ)一一月一八日の電報使送妨害行為、(ニ)一一月一九日の警告文掲出妨害行為及び電報使送妨害行為、(ホ)一一月二〇日の配転事前通知書拒否の教唆煽動行為及び局長等監禁行為、(ヘ)一一月二二日の局長等監禁行為、(ト)一一月二六日局長補佐の業務妨害行為、(チ)一一月二七日の業務課長監禁行為及び使送妨害行為、(リ)一一月二九日のビラ無断貼付行為、電信課長及び局長監禁行為について右原告両名は幹部責任を負うべきものである。

しかしながら原告若林泰弘の組合幹部としての責任はこれを認めることができない。すなわち、同原告は組合津電報分会の特別執行委員であるが、証人長野源大の証言及び原告若林泰弘本人尋問の結果によれば、右特別執行委員とは、同原告が中勢地区労働組合協議会事務局長である関係から組合休暇を請求する必要があり、その便宜上分会大会で特別執行委員制度を設けたものであつて、執行権限及び交渉権限なく、執行委員会における議決もないことが認められる。従つて原告若林泰弘は分会組合員の行為について幹部責任はない。

以上原告等三名の懲戒処分理由に該当する事実を綜合して考察すると原告杉原東洋児及び伊藤忠治についてはその情極めて重く被告公社東海電気通信局長が右原告両名を懲戒免職処分にしたのはまことに相当であるといわなければならない。原告若林泰弘については原告杉原及び伊藤に比較すればその情状において格段の相違があるというべきであるが、一一月一九日の使送妨害に積極的に参加活動して実力をもつて使送を阻止し、一一月二七日高林業務課長に対する監禁行為に積極的に参加活動し、一一月二九日垣下電信課長に対してその身体に危害を与えるような脅迫的言辞を弄し、且つ局長の監禁行為に積極的に参加活動したことに徴すればその情状相当重いものがあり、同原告が懲戒解雇処分に付せられたのも強ち不相当ということはできない。

なお、原告等は上部機関の組合役員及び分会長が何等の処分も受けないに拘らず、原告等のみを免職するのは処分の均衡を失した不当なものであると主張するが、被告が右懲戒免職処分をなすについて原告等の幹部責任のみならず、その個々の実行行為についての責任をも問うているものであり、しかも証人八谷伏見雄の証言(第一回)及び原告伊藤忠治本人尋問の結果によれば、地方本部は津電報局における中継機械化闘争を指導するに当り使送の起り得べきことを予想して分会に対し、使送に対しては言語による説得行為にとどめ、苟くも物理的力をもつて阻止するが如き方法をとらないよう指示したことが認められるに拘らず、これに反し実力をもつてこれが阻止をなす等の極めて違法な行為に及んだものであるから、上部機関役員及び分会長の幹部責任が追求されないことをもつて直ちに処分の均衡を失しているということはできない。

従つて本件懲戒免職処分が解雇権の濫用であるとの主張は理由がない。

次に原告等は本件懲戒免職処分が不当労働行為であると主張する。原告等がそれぞれ組合津電報分会の役員として津電報局の中継機械化に関する闘争に参加したことは前記認定の如くであるけれども、通信局長は原告等が右闘争において日本電信電話公社法に違反した行為に及んだことを理由に右懲戒免職処分をしたものであり、且つ前記認定の如く右懲戒免職処分は相当であるのみならず、原告等が津電報局において展開した労働組合活動は津電報局に対し権限外の行為を要求した不当のものであり、労働組合活動そのものが目的において正当とは言い難いから右不当労働行為の主張も理由がない。

よつて原告等の請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤淳吉 丸山武夫 渡辺一弘)

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